木曜日, 4月 01, 2010

書写スキルでポポンポンポンすんな!

Twitterで色々書いた結果として、凄くBlogにまとめるのが億劫になっている私です。
世間一般では4月1日はエイプリルフールなのですが、死と真実のルーンを守るフマクト信者に四月バカは無いでございます。(ここまで挨拶)

でだ。

今度のPubで書写スキル持ってると詠唱集中と同じ効果が得られる(ただし、GMで5%)という仕様が発表された。
まず、詠唱集中だが・・・呪文を唱えている時って、ポコンと殴られたりズビズバと魔法打たれると詠唱が中断して唱え直しなわけですな。詠唱集中っつー機能は、ある一定パーセンテージでこの詠唱中断を防ぐ事のできるプロパだよと。SAAFなんかでもこの機能持ったアイテムあるよね?

で、私の主張は「何で生産スキルであるはずの書写技術修めたらこんな機能が付くネン?!」である。
Izmのメガネは「今創作の神が降りてきたから 邪 魔 す ん な !」的な勢いで集中できるんだよと言っていたが、書写スキル持ちは書写スキル持ちであって作家ではないのだ(兼任することは多いと思うが) Reject!
満月な人は「書写スキルは魔法に詳しい云々~」と言っていたが、スクロール書くときに実は魔法スキルは要らないのである。実際さっきソウルストーンでPireminの魔法スキル抜いてリコスク書写してみた。超大丈夫。書写スキルは書き写すだけのスキルであり、魔法知識とかかんけーねー! である。

何がしかのスキルを修める事でこの様な機能を備える・・・という部分に関しては異論は無い。GMで5%しか付かないなら別に大きな影響は与えないだろうと思ってはいる。じゃーええやんけと思う人も居るかもしれないが、私は生産スキル等の「明らかに戦闘と関係ないスキル」を戦闘に関連付けて価値基準を制定し、体系付ける事が物凄く嫌なのである。それは価値判断基準を戦闘で有利/不利という一つのものさしに統一していこうとする方向性であり、多様な価値観であるとか、多様性と真っ向からぶつかる思考方式だからだ。
世間では良く多様性だの価値観だのの「字面」にだけ惑わされて、それが素晴らしいステキでかっちょいいものだと思い込んでる人が多い。んで、実際にはその字面信奉者は「リフブレ以外カスだから、武器をもっと調整しろ」とか「乗りドラ以外は使えないから特徴作れ」とか言い出すのだから私は天を仰ぐしかない。
武器の多様化? お前ら完全にリフブレ互換で絵とカテゴリーだけ違う武器出されたら満足するのと違うか?
乗りドラ以外にもかわいいラマとか軽快そうなオスタだとか安定感のナマコ、ある意味機能的なゴキども、ケツが熱いぜファイアスティード・・・等の「乗りドラの評価軸とはちょっと別の方向性で価値が存在する」他のもんには目を向けないのである。
実際に多くの人が「多様性」だと思っている物は実際のところ多様性でもなんでもなく、要するに「もっと使えるもん出せ」という話に過ぎない。何でそうなるかというと彼らの価値判断基準が「戦闘で有利か否か」というひじょーーーーにシンプルな物でしかないからだ。

ぶっちゃけ、元々UOは戦闘以外も色々できると言われているが、何だかんだ言って戦闘で強いということはある種のステータスなのである。全体的に戦闘で有効/無効という価値基準体系が蔓延しており、それ以外の価値判断基準は割りとほったらかしであるのだ。
随分前から「多様性を根付かせる為には価値判断基準を複数用意し、戦闘という価値判断基準を相対的に軽くするべきである」という意見陳述を行い続けている。参考 参考
UO公式ファンサイトの中でも数少ない戦闘関係のファンサイトでありながら、私は戦闘という価値判断基準に全てを関連付けるという方式に疑問を持っている。ぶっちゃけそれやって全部戦闘に関連付けたとして・・・UOの戦闘システムはどーあがいても最近開発されたMMORPGに勝てそうに無いのである。根幹システムは(AOSで多少モディファイされたが)10年以上前のものだ。幸いにしてUOは戦闘だけではない部分も存在したのでまだ独自性を保てているが、全部戦闘とかになったらUOなんぞ10年前の遺物だぞ? ちょっとでも他のMMORPGを弄ってみれば分かると思うが、絵は綺麗だモーションは多用だ3Dだ水面が綺麗だ敵がごついわ戦利品は底なしで高騰するわ・・・「戦闘だけで他ゲーと戦ったら勝ち目ない」っつーネン。なんで勝ち目の無い方向性に向かいたがるんだ? 他ゲーが疎かにしていてUOが得意とする「日常」とか「生活感」とか強化すべきじゃねーの?

余り使用されていないスキルに日の目を当てたいと言う開発の気持ちも分かる。戦闘以外の価値判断基準を打ち立てるのは凄く困難な事で、そんな事に開発リソース使えない「手っ取り早く、誰にも認められる形で有効性を出すには戦闘に関連付けるしかない」という気持ちもある程度分かる。そもそも価値判断基準なんて人の心の問題だから、人の心をそう簡単に別の方向に向けさせるってのは確かに無理臭い。

だが、その無理を押してなんとしてでもそういうものを作り上げないと、10年先のUO無いぞ。
非常に困難な仕事である。だからこそ(断言しちゃうが)他のMMORPGがその方向性を追求する事は無い。単純にそんなことにリソース裂いて新しいゲームのイニシャルコスト消化できないのは素人目にみても良く分かる。10数年という長い長い年月の中で、ちょびちょびそういう方向性を少しだけだが築き上げてきたUOだけが、「チームめんどい」みたいなヘンテコな考え方する連中が住み着いちゃってるUOだけが、バシネットと棍棒担いで「Yes?」とか言って遊んでる連中が盛りだくさんなUOだけが、今数多あるMMORPGの中でUOだけがそういう地平を切り開く最前線にいる。しかも後続は多分来ない。

この未開の大地を切り開けば、そこはもう確実にUOだけのものだ。

何故戦闘平原という群雄割拠の世界でシェアを狙う?
そこに10数年前のスパゲティープログラムと立ち上がるのにも「よっこいしょ」と言い出す古参UOメンつれてどれだけの成果が上がるというのか?
戦闘平原での我々の領地はほんのちょっとで大丈夫だ。その背後に強い日差しを遮る「生産の森」を抱え、作家業の丘のほとりには釣りキチどもの集う湖があり、湖の上にはガーゴが船と戯れる姿があり、エルフは相変わらずアホな顔して弓を作る・・・UOのライバル連中には戦闘平原での戦闘しかないが、UOだけが平原以外の素晴らしい景観を手中にすることができるのだとしたら?

戦闘だけに全てを関連付けないで欲しい。
今やるべきは「戦闘以外の価値基準の創設」であり、及ばずながらその点においては私もAre you with us? らせて頂く。

そういうことをしたくて、手伝いたくて、今でもUOで長々ながーーーい文章書いている。
私は、本当に、そういう世界で遊んでいたいのだ。