うむ、なんか久しぶりにこのBlogに投稿するね! 少し緊張するざんすヨ!
パンチラゲー初めて既に半年ぐらい。相も変わらず育成ばっかで飽きてきた。
今回の場合、いろいろと人間関係のしがらみもあるので何とも言えないが・・・実際パンチラゲーやってて「MMOって何じゃいな?」という根源的なところに行きついてましてですな。そのお話をUOに絡めてするのも面白いんじゃないかと思う。
大前提
*普通に「ゲーム」として考えるなら、UOよりパンチラゲーの方が面白そう。例えそれがクリックゲーだとしても。
*でもやっぱ、UOの方が楽しいと思うよ。或いは「UOの方が楽しかったよ」
まぁ、アレだ。城攻めが超ハイスペックじゃないと楽しめそーにねーとか、レイドも思ったよりもっさり感満載でダルいよねとは思うのだが、スキル取得してアイテム集めて・・・と、やる事多くて「ゲームして忙しい」っつーのがある。個々の戦闘はオーバーヒットなんつータイミング技で経験多くもらえたり、多少の戦略性あるけど・・・なんか、ね。
忙しい=楽しいでもないし、忙しい=苦痛でも無いんだが、どの狩り場に出かけても基本同じ(或いはLv上がって覚えたスキル行使して・・・まー同じだな!)事しかしねーから、Lv上げそのものがダルい。ある程度まで上げちまえば手を抜ける(Tルール限定だろうけどさ)UOはひじょーに楽だと思います。
まぁ、どっちもどっちなのかなぁ。
無駄に広い世界や前人未到っぽい山々、水中神殿とかは観光しに行くのに面白いけど、そんなことやってる暇はこのゲームにゃーないざんすね。
風光明媚な場所とか結構あるのにね。
この風景がUOに入ってたら、おりゃもう即攻で遠足企画立てるよ。
なんつーかなー。
ゲームがゲームとして面白いというか、ゲームがゲームとして中毒性があるので、それ以外の遊び方をどーにも提供しにくいっつーか。Lv上げって行為(あるいは金策)が多くのプレイヤーにとって重すぎるので、バカやり辛いんだ。
UOなんてアレだ。ある程度の家でも構えて、そこに戦闘そこそこできるキャラ居たら、それ相応に満足できる訳ですよ(俺だけなんかな?)
本書いたり、散歩したり、新しい場所散策に出かけたり、演劇見たり、魚釣ったり・・・のんびりできる。最初期はあの「はじうお」のパッケってどーよとか思ったんだが、あれこそ正にUOの良さげな部分を体現してるような気がしてきた(ファミ通広告はどーかと思うがな!)
でだ。
最近UOの動向見てるんだけど・・・(草葉の陰でな!)
なんと言うか・・・デザイン部署がUOを普通にゲームとして成り立たせようとしてない?
アビス(まだできてねーのな:笑)作るのも良いけどさ、それじゃーソーサリアに人集まんねーんじゃねーかな?
それより、UOの世界の魚がやたら拡張され水中戦闘もできるような(ただし、敵はそんなにつよう無くて良い)海洋パッケージ出たら俺ものすごい嬉しいし、ごつごつの岩だらけの土地をラマに荷物積んで登ってくだけのパッケージがあってもいいと思う。ぶっちゃけ多少戦闘システムが雑でも、UOって世界広がればそれだけで楽しい世界なんじゃね?
Are you with us? じゃねーけんども、世界だけ作ってくれりゃー、後はユーザー連中が楽しみ方探すと思うんですわー。
トクノも88か所ほど社建てて、それぞれの社に蠟燭灯すとハッピ貰えるとかのくだらねーシステムとか欲しいよな。回ってる最中にいずこからともなくオタイシサマが見守ってるとか「すごく下らなくて良い」(宗教規定に引っ掛かってボツだろな:苦笑)
俺は88か所目の関所に「マッコイ」ってキャラ置いて露天商するよ(笑) もしくはサキって名前で「さぁ、戻って来い戦場の死神ども!」とか言いつつ街道に松明並べる。副官ラウンデル大募集。
こういうさ、ネットを介したボケをして、誰かに突っ込んでもらえる(或いは悪乗りできる)システムって、すげぇと思うんだよ。既にゲームじゃないんだけど、システムとして確立されたゲームではないんだけど、それでも尚他者とのシステムを介したコミュニケーションという意味合いでゲームっぽいというか、ゲームというシステムが目指している世界をゲームを介さずに達成できるっちゅーか。
なんぞギャリ男も最近はしっかり「ゲーム」を作ろうとしているようであるし、MMOの業界はどこも「ゲームを作ろうとしてゲームの先に見据えるべきものを見ていない」気がするんだ。
ゲームってさ、みんなで何かやってワイワイやるのが楽しいんじゃねーの?
パンチラゲーでアレなのは、ソロで動いた方が効率的だとか、PTでなんかすっと「予定された処理を確実にこなす事だけ求められる」って部分にあると思うんよ。なんかゲームではなくライン組んで工場作業してるみたいで面白くないんだ。ゲームとしての目標を達成する事が、プレイヤーの娯楽に直結しない部分が問題だと思う(Lv上がってGold貯めることが至上の喜びの人には受けるんだろうな)
ゲーム(あるいはゲーム性)を道具として「楽しい時間」を目標とするなら、楽しい時間の為にあえて「ゲーム」と言う手段取る必要無くないか?
無論、人寄せっつーか、資本家から銭せびる手段として、あるいは新規顧客獲得の為にゲーム性って部分を強調するのも悪かないが、ゲームがゲームとして(つまり、ゲームシステムとして)優れている事が即ち楽しい時間を過ごせるという部分には直結しないってことを、そろそろ悟るべきだと思うんだ。不完全なゲームシステムでも、その辺に転がってる連中が面白おかしい連中だったら、結果として出てくるもんは楽しい(たぶん)。
ゲーム性を練り上げることより、どうやったら面白おかしい連中が触手を伸ばしてくるかを考慮すべきじゃねーかな。
まぁ、面白い連中引っ張ってくるのって、ゲームシステム寝る上げることの何倍も難しいと思うけどね。