日曜日, 5月 25, 2008

OK, 少し昔話を交えて話そう

今は昔。
ソーサリアには「おいしいミートパイ」と言う盗みレアアイテムが存在した。
ちょうど私が購入した頃はそこそこ出回っていて、安価に(とは言え、普通のミートパイの数千倍の価格だが)で購入したりする事も出来た。

確かNescaが頑張ってアイスダンジョンで稼ぎまくってたんだと思うのだが、彼の苦労に報いるべく、そしてある部分ではNesca自身のロールプレイ的な意味合いもあって・・・この「おいしいミートパイ」を購入し、食おうと思ったわけだ。
しかし、食えないのだ。
食いものだから、おいしいとかまずいだのと言う形容詞が付くのであって、食えないものは食いものではないので、ウマいもマズいもありゃせんのだ。食えないものを食い物として扱うのは、如何なものか。
その後、海MAFと呼ばれるアイテムで「提督の心づくしラム」等と言う物も出た。
これは最初期に飲食不可のアイテムとして定義されたが、私はその事に猛然と異議を申し立て(自分のサイトでだけだけどな!)、それを見てだか、EAJの中の人が伝えたんだか分らんが・・・結果的にラム酒は飲食可能なアイテムとして再定義された。

飲めよーが飲めまいがかんけーねーと言う人もいるだろう。しかし、そこで考えて欲しい。
なんでそんな事するのか、と言う部分を。
例えばバグの多い小麦粉挽き機械だが、なんであんなものを残しておく必要があるのだろうか?
古典的な方の大フォージにはフイゴが付いており、ご丁寧な事にフイゴ動かすと炉の温度が上昇するアニメーションが確認できる。ナイフとフォークはなぜ存在するのだろうか? そもそも使えもしないのに!

私の勝手な想像だが、それは一つの大きな「誘導」なのである。
それぞれのアイテムに単なる機能だけを付与するのではなく、どうでもいい作りこみを行うのは、ある意味ではリアルさを求め、そこからロールプレイへと誘導させるための物ではないか?
例えば、武器防具を修理するのに多くの鍛冶屋はなんもせんとハンマーで叩くだけだろう。しかし、真に鍛冶屋の事を考えるなら、ふいごを動かして温度をあげ、そしておもむろにその上に剣を乗せて熱し、その上でハンマーで叩くという一連の行動を実行する事も出来るのだ。
かったりーと思う向きもあるだろう。実際毎回そんな事してたら確かにかったるいが(苦笑)、そうする事でリアリティー、あるいは「そのものらしさ」と言う奴が生まれるんじゃないか?
品のいい貴族だと名乗る人間なら、食事の前に洒落たナイフとフォークを用意し、それから食事を摂るという小技も使える。そしてそれらの行動は確かに面倒な事ではあるのだが、周囲に自分がどのような人間(キャラクター)であるかを申し伝える情報となる。あなたがもしも貴方が思うように周囲から認知されたいのであれば、あなたは常に・・・ソーサリア滞在中は常にその雰囲気をまとっていなければならないのだ。そこまで徹底して初めて、周囲はあなたを「そうである」と認知してくれる。
そういう細かい仕事が各所に行われているのがソーサリアなのだ。
それに気が付き、そこを使いこなせればソーサリアは実に「それらしい」世界となる。
我々も知るあるものを、そのように扱う事が出来る・・・再現性を個人の尽力次第で高める事が出来るのがソーサリアの良いところの一つではないかと思う。

そこで翻って見てみよう。
馬鎧。

馬鎧は馬に着せるためのものである。決して単なるハウスデコレーションアイテムではないはずだ。食えない食い物が食い物ではないのと同様、馬に着せる事の出来ない馬鎧は馬鎧ではないのである。それは代替可能な何かのシンボルのようなもので、別にそれである必要性はない。
本だって実際にそこに物語を書きとめる事が出来るから本として機能するのである。そしてそれはそれを用いる人々・・・作家を生み出し、本を書架に収めるというそういう行動をも促進する。
馬に着せる事の出来る馬鎧ができた場合、家にそれを置きたければそのアイテムそのものを置けば良いだけの話である。ソーサリアの建築家たちはアイテムさえ渡せばしっかりときれいにそのアイテムを並べ、装飾に使用するだろう。そして戦士はそれを馬に用いる。
そのものが持つ本来の機能・・・それさえ実装しとけばあとはユーザーが何とかする。(だから、馬鎧Deedとかって手抜きは無しだ!)

だから、ナイフはナイフとして食べ物に当てて切り分ける機能を与え、フォークはそこから一切れづつ食する為に使用されるべきではある。おいしいミートパイはそのおいしさを知る事のできるように可食アイテムとするべきだし、椅子だってロックダウン後にも「椅子を引く」「椅子を収める」のアクションを行えるようにしてもいいはずだ。(貴族が女性の為に椅子を引いてあげるというアクションが行えるようになるだろ?)

その様な「再現性を高める」工夫が、ここ数年の改編には見られない様に感じる。
もしも開発陣がナイフとフォークの存在意義に気が付いていなかったり、フォージのフイゴの動きを「単に面白いイースターエッグ」の様に考えるなら、それは思慮が浅いと断ぜねばなるまい。
そんなんだから、戦闘の方しか作りこめない状況になっちゃうんだぞ。それはそれで重大な部分ではあるが、それがソーサリアの全てではない。その他の「あまり注目されていない部分」に対してしっかりとした考察を行い、全体との調和を考えて実装する・・・
それが行われれば、ソーサリアはもっと奥深いものになるだろう!

月曜日, 5月 05, 2008

声のでかさ

声のでっかい連中がMrTactの低減案を潰したという意見について。

まさか声のでかい奴=俺の事ではあるまいな・・・と思いつつ、もしもあの発言書いた奴が私の事を「声のでかいやつ」と思いこんでるなら申し添えておく。俺の声が必要以上にでかいのであれば、今頃ソーサリアは美味しんぼの世界になって味皇様がウーマーイーゾー言ってるっちゅーねん(苦笑)

声のでかさだけで言えば、クラシックシャードの再臨を願う連中の声の方がでけーと思うし、ソウルストーンの導入撤回を求めた連中の声だって相応に大きかった。しかし彼らの意見は取り入れられていない。しかし、偶然の一致だとは思うがテキトーに日本公式BBS(私がUO初めて1年間ぐらいの間は現存していた)で「型」で戦う戦士って面白くね? とか書いたらサムラーイはSpM的な技を駆使する戦士になったし、東京で行われたタウンホールミーティングでは書いた本人が冷汗かくほど質疑応答に自分のアイデアが盛り込まれててすげー焦った事もある。
声のでかさじゃ無いと思うんだよな。
何と言うか、その場の流れ的なものと言うか、筋道立った物事の考え方と言うか・・・もちろん自分がそんな折り目正しい人間だと主張する気はさらさらないが、少なくとも私は今のソーサリアつまらねーなんて事は言わないし、提案事はできる限り「こうした方が面白くないか? 例えばこんなんできたらこういう風にも遊べる」等の提案はしてきたつもりだ。何かのアイデアに対して対抗意見を述べる時も、きちんと否定論拠を述べてきたつもりなのだが・・・

記録に残してるので、こんな文章がある。

ただ単に声がでけーだけでは意味がないと思うんだよ。そこに「多くの人が納得し得る論拠」が無いとだめだと思う。ただ声がでかいだけの駄案は無視されるし、例え声が小さくても正当な意見っつーのは開発者の耳に入れば採り上げられる事もあるだろう。論拠なしでヤダヤダ言ったって、仕様が無いとは思わんのだろうか?

そもそも対数採って・・・なんてシステム、誰が直観的に理解できるんだろうか?
理系で高卒程度(ただし、相応に数学に長じている必要がある)の能力強いるゲームなんて、市場に受け入れられるとは思えないのだが・・・