難解な話をするとまた内容を把握できない人がいるかもしれないが、書く。
例えば天気の話をするとしよう。
今日はうす曇りである。これを聞いた/読んだ諸兄は「うす曇り」と言う言葉からその日本語に該当する天気の概念を己の脳内から引き出し、私の意味する言葉の内容を把握する。
しかし、
その概念が「受け手の脳内」に無い場合はどうなるか?例えば、「私はそんな話を聞く度に、
トリプルロック・バプテストチャーチの屋根上の十字架の様に首をかしげるのである」等と書いた場合、「トリプルロック・バプテストチャーチ」を知らない人は、深く首かしげているのか、軽く傾けているのか理解できない。
言葉と言う物は、同じ概念を脳内に持つ場合にのみ、コミュニケーションの道具として使用する事が可能になる。多くの日本人諸兄が私や他人と相互理解を成立させる事ができるのは、私や貴方が日本語を生まれてこのかた何年も使い続け、日本語の概念を大体において正確に把握しているからなのである。そしてその「多くの人が知る意味範囲」を逸脱した「トリプルロック~」の表現は、多くの人にとって「意味不明な語」になってしまう。
そして、
その「脳内に存在する概念」は多くの場合望む/望まぬに関わらず、生育した文化的背景の影響を受ける。これは言葉が文化の一側面を担うために発生する問題であり、これを自覚しなければ思わぬところで苦境に立たされる事もある。
雹と言う自然現象がある。氷の塊が降って来るアレだが、英語圏ではなんと表現するだろうか?
アイス・ストーム(Ice storm)辺りがほぼぴったりの訳語になるだろう。では、霙(みぞれ)は何と訳す?
実のところ、そのままぴったり当てはまる言葉は無い
。(ちょっとここ大ウソだった。今調べ直したらsleetって動詞があるわ。霙が降ると言う概念自体は英語圏にもあるらしい。英語圏の人スマンス)日本人(日本文化圏)を含むいくつかの文化圏では雨と雹と霙を明確に分けて考えるが、英語圏では霙を他の天候と「区別しない」のである。そもそも先方にそういう概念が無いのだから、単語一言では無く、シャーベットが降って来る状況だとか、色々と概念を伝達するのに工夫を凝らさねばならない。
日本語には存在する概念が英語には存在しない事もあるし、それとは逆に英語圏ではきちんと区分されている概念が、日本語では存在しなかったり一緒くたにされている事例もある。
貴方がもしも「親父にカミナリ落とされた」と言う話を英語圏の人に伝える場合、日本語で無自覚に「雷」と表現しているものが「雷鳴の様な親父の怒声」なのか、「稲妻の様に早い親父の鉄拳制裁」なのかをきちんと把握し、ThunderとLightningを使い分けなければ、その意味するニュアンスは伝わらないのである。
余談:私は何故か「貴方は稲妻の様に~」のあの歌の「ユア ローリング サンダー」の部分を聞く度に「ローリング→ゴロゴロ→雷ゴロゴロ」だからサンダーなのかーっ! と変なイメージが湧いてきて笑ってしまう。脳内では高木ブーがゴロゴロ回っているシーンを思い浮かべる。言葉と言うものは、結果的にその文化圏が世界をどのように見ているかを指し示す。
異なる文化圏/言語圏の人々は、同じ世界を異なった眼鏡をかけて見ていると言っても良い。コミュニケーションとは「互いの脳内に同じ像を持たせる」事を目的として成立している。
乳幼児が「ママ」と言う言葉を覚えた際、父親に対しても「ママ」と呼びかける事があるが、それはママと言う言葉の指し示す意味範囲が正確に脳内に刻まれておらず。「身近にいる人=ママ」あるいは「大きい人=ママ」等と誤った形で語義を設定している際に発生する現象である。これは言葉を使って行く内に「世間一般で言う所のママ」の概念を習得し、是正されて行く。そしてこれは長じて後に他言語を学ぶ際に、我々が行っている行動でもある。
最近はどうなのか知らないが、私が中学生の時最初に学んだ英語は「This is a pen.」であった。
この際に、thisとは日本語で言う所の「これ」を指し示す語であり、指示する物の数が単数の時に用いると言う事を学んだ。それに該当する言葉はthatであり、these やthose等の言葉を順に学んで行く。そしてテストでは「正確にその語の指し示す意味範囲」を習得できていない場合、this とthatを取り違えたりしてしまうのだ。この際に注意しなければならないのは、この方式だと英語の概念を日本語に置き換えて習得しているという事である。乳幼児が行うように語を覚えてから概念範囲を修正していくのでは無く、最初っから語義を日本語で定義して覚えているのである。
これは日本における外国語習得が、多くの場合「文章を読む為」に行われてきた事と関係している。我々は古典中国語を日本語として理解する「漢文」と言う勉強を行っている(そしてこの訓練が台湾で新聞を読む際に微妙に役立った)、これは漢籍と呼ばれる中国からの学術書を読みこなすの必要な学問なのである。
そして現在(と言うか、私が学んだ頃の英語授業)の勉強法も、基本的には英語で記載された文章を理解するためのものであり、それほど表現を行う訓練に重きを置かれていなかった。
自慢話の様に聞こえてしまうかもしれないが、私は実はちょっとした英会話程度だったら普通に行う事ができる
(台湾に長期出張した事があり、その際に英語でしかコミュニケーションを取る方法が無かったのだ。習うより慣れろ式で英語を習得しなければ「ならなかった」)、そして英語で話す際には脳内でも英語で思考している。今でもそれができるようになった時の事を覚えているが、それまで日本語の文章を考え、脳内で変換してから話していたのに…ある時ふと「脳内でも英語で考えている」と言う事に気が付くのである。それは全く自分で意識しない内に行われていた。自転車に乗る際、最初は後ろの荷台を誰かに支えて貰っていたのに、いつの間にか支えが無くても自転車をこいでいた・・・そんな感覚を思い出すと、私の味わった妙な感覚を理解しやすいかも知れない。
なんでも、日常会話を交わす程度であれば3000ほどの基本的な言葉の語彙をしっかり覚えていれば事足りるのだそうだ。これは言語に依らず…と言う事である。たまたま私もその頃に、3000語前後の言葉をしっかり習得したのだろう。中等教育で英単語を3000語覚えさせるのは、この辺りに由来していると聞く。中学校で学ぶ程度の英単語を本当にしっかり把握すれば、日常会話程度はこなせるはずなのだ。
で、英語をある程度自在に使いこなせるようになった訳だが・・・ここに問題がある。そもそも知ってる単語が少ない/偏っている私は、
一般会話程度であれば英語で考えて英語話す事ができるのだけれども、英語で複雑な概念を考える事が出来ない。そういう単語を知らないのだから仕方ないのだけれども、世界人口に対する食料自給率がどーかなんて事を考えだすと、
突然脳内自分会議が日本語で行われてしまう。例えば、私は今感覚的に大体の英語の前置詞を語に適切か否かを判断する事はできる。日本語のテニヲハと同じ程度に「感覚的に」選択できる。そして何故それを選択するべきかをある程度「日本語で」説明する事もできる。脳内にそれぞれの前置詞の概念を了解していて、それを別の言葉で言い換える能力を持っているからだ。だからこの辺だけに限って言えば英語を英語のまま理解し、使う事ができると言っても良い。しかし複雑な語であったり、あまり日常会話で使用しない言葉に関しては理解できない。脳内にちゃんとした「概念の枠組み」が無いからだ。その概念を知らないまま、ある語の訳語として適切かどうかを知り、その上で英語を書いたり読んだりする事はできるが、その語に対して突っ込まれると、突然モニョる。
英会話能力が出来の悪い小学生並みなんだから仕方が無い(苦笑)然しながら
「私はやります」
「私がやります」
上記2文の指し示す内容の違い、ニュアンスの違いは日本語で説明できる。英語で似たようなニュアンスの違いを問われても殆ど理解できないと思われるが、日本語だったらできる。30年以上日本語操り続けているのだから、やはり「言語の習熟度」と言う意味において私は日本語の方が得意なのだろう。
どこぞで「英語を英語のまま理解する」と言ってた豪の者を見かけたが、彼/彼女のやっている事は英語を英語のまま理解する事では無く、ある物体に対して呼応する英単語を、そのまま何の考えも無く、「呼応する語」として暗記するだけの事である。What time is it now?を「ホッタイモイジクルナ」と理解することと同じであろう。そんな事してて英語でコミュニケーションできる様になる訳ないだろうに。意味範囲を意識する事無く単純に1:1で語を考えてたら上達するもんも上達しない。他言語がそんな単純なものだと思い込めるのは何故だ?
ありとあらゆる語や文章を、そうやって状況ごとにこじつけで覚えるつもりなのだろうか?
確かにそれは
何かの拍子にコミュニケーションの役に立つ事はあるかも知れないが、そんなもんにご大層な理由をひねくり回して能書き垂れるその真意が分からない。これが
英語が嫌いで嫌いでたまらなく、それでも尚なんとかしてコミュニケーションしなければいけない苦肉の策だと言うなら理解できる。でもそれなら日常的なプレイにおいて、アイテム名称等を翻訳した方が彼/彼女にとっても楽だろうし、そもそも海外プレイヤーとの接触機会などは殆ど無いのではないか? 機会が無いのにあたかも機会が多数存在しているような言い方は、フェアじゃないと思うぞ。
例えばもっと本当に根源的な意味で、「英語のままにした方が良い」事だって無い訳ではない。英語のままの方が相関性に気が付きやすい事とか、英語で記載された際のリズムや音韻構造が素晴らしい文章…英詩等であるが、これは訳文と英語原文をしっかり区分すべきであるとは思う。王様みたいに訳して笑いを取りたいなら別だろうが。
おーれはー こうそく どうろの ほしーっ!しかしそんな事までして英語を理解しないと
いけないと言う事は無い。それはその道のマニアであり好き物がやれば良いだけで、普通の人は普通にゲームを遊べばいいのだ。その際に言語が何かの障害になっているのであれば、それを取り除く事の方が先決であろう。多くの人にその指し示すものが正しく理解できる様に、その国の人々に分かりやすい言語に変更したり、概念を翻案する事はそのものを正しく周知させる為には重要な事ではある。少なくとも日本人であるならWater melonと記載されるよりもスイカと記載された方が理解しやすいだろう。カンターループとハニーデューメロンに関しては、そもそもメロンの品種について詳しい人間が少ないと予想される。その意味では訳しても訳さなくても構わないのだろうが、英語が得意で農産物に詳しい人間探すよりも、農産物に詳しい日本語しか話せない人の方が、条件的に「大勢である」可能性は否定できない。
英語に詳しければhoneyでdueなのだから、甘くしたたる果汁を想定して「すげー甘いんだろうなぁ」程度の類推はできるだろう。ハニーデューとしたらそこに気が付けないかもしれない・・・だって
はちみつ汁だぜ?! …と言う話は、寡聞にして知らない。
もしも本当にアイテム表記が英語であった方が良いという意見に正当性や裏付けとなる事例が存在するのであれば、実例をあげてそれを説明できると私は考える。一切その様な話が出ずに、何かのお題目を挙げるかの如く「海外とのコミュニケーションが云々」とか聞いて損した気分になる様な話ばかりを見つけると、「お前ら実は英語でコミュニケーションした事無いと違うか?」とも言いたくはなるし、
翻訳が嫌なら嫌でもっと別の説得力ある実例挙げればいいじゃないかと思う。賢しい真似して賢くなれる訳でも無し、もっと自分にあった方法で「嫌な理由」を書けば良い。英語が数多く使われているゲームだと厨房が寄り付かないとか、英語理解している俺様格好イイ! と自尊心を満たせると言うなら、そうか書けば良いじゃないかと思う。
例えば「名称変わったせいで、ベンダー内の見出し語を全部変更しなければならない。辛いからやめて!」と言う意見は至極尤もな意見であると思う。変なお題目よりもよっぽどそっちの意見の方が同調しやすい。恐らく探せばもっと「翻訳をしない方が良い実例」は挙げられるのだろうが、そもそも英語が実は嫌いだと思う人や、理論的思考ができない人はそう言う事をするのが面倒なのであろう。お題目あげていれば救われると思っている。
つーよりも。
英語圏プレイヤーとなんかする時、4uとかThxとかの方が障害になる気がするぞ。あれ、音写だから単語発音できないと理解できんし。ネットジャーゴン的な物の方が意思疎通の障害にならねーか? (事実、大昔のUOプレイヤーの文章見てるとそう言うの結構目立つし)