月曜日, 3月 29, 2010

エミュ鯖を考える

まず最初にお断りしておくが、戦技研のTopとして利用しているエキサイトBlogにエミュ鯖ネタ書いたら速効削除する。扱いはエロコメントと同じ。戦技研はUOの公式ファンサイトとして作成整備されている物であり、それ以外の何かではない。
また、例え論調が糞真面目で非常に役立つ物であったとしても、コメント投稿にエミュ関係のLinkが張られているなら同様に扱う。まともに話し合いをしたいならエミュ関係データへのLinkを外せ。

この様な処置がファッショである事は十分に理解している。言論統制である。私は少なくとも戦技研においてエミュレーターサーバーでのプレイヤーに対して言論統制を行う。暴君と罵られようが、ファシストと呼ばれようが一切気に掛けぬからそう思っていて欲しい。

ただし、ここ『日々妄想』ではコメントの投稿やトラックバックを受け付けよう。恐らくエミュ鯖で遊んでる人間も「なぜそこまで毛嫌いされているか」分からぬだろうし、その否定論拠を申し述べる事はUOコミュニティーに対しても益の多い事であると思う。幸いにしてこの日々妄想は公式ファンサイトとして企画はされていないので上記のファッショを行う必要が無いのである。

まぁ、だからと言ってヤサシイコトバを掛けて貰えると思っているなら、大きな間違いであるのだが。


そもそも私個人の認識として、エミュレーターサーバーは「落ち武者村」である。
時代に取り残されて山奥に隠れ住む者どもが「我らこそX氏の末裔で~」と己の正当性をgdgd申し述べ、いつまでたっても過去の栄光から一歩前に出ると言うアクション起こさぬ連中であると。
本当にUOの事を思っていると言うのであれば、何度でも繰り返し繰り返しその「UOを良くする案」を申し述べ、必死で開発陣に訴えろ。私は既に7年近くそういう事を行い続けているが、結果として結構色々な仕様を導入してもらえている。もしもそれが届かないのであれば、そりゃ単純にあんたの案が「面白く無さそうに見えている」だけだ。プレゼン能力低いんだよ。
どうしても受け入れて貰えない! こんなに素敵な案があるのに・・・
UOにどうしても受け入れて貰えないなら、ゲームシステムデザインしてその辺の会社に売り込んでみればぁ? 受け入れて貰えないから自分らでシャード立ち上げて、ゲームクライアントと言う著作物をかっぱぐのはそもそも論としてアウトだろうよ。UOとそれを管理管轄するEAは諸君の意見にNoを突き付けている。言う事聞いてくれないからってUOパチるな。


法的な問題もそうなんだが、そもそもその様な連中の性根が私のカンに触るのだと思う。
それに比べてUOから去った連中が「より素晴らしいゲームを作ろう」と試み、残念ながら失敗している姿には感動を覚える。いずれこれらの開発陣の中から、真にUOを超えるゲームを作るクリエイターが現れるかもしれない。同じテーゼから出発したのに、なんでエミュの連中はエミュっておしまいなのか?
現状のUOで不満なら、現状のUOを超える何かを作れよ。
なんで過去のUOで満足したり、もうひとつ別のUOでお茶濁す?

異論は受け付ける。
しかし、受け付けるだけで必ずしも肯定的な意見を付けるとは限らない。むしろ物凄い勢いでDisられる事を覚悟してカモン! だ。

土曜日, 3月 13, 2010

ほっほぅ・・・

資料館のコミュニティー論
「コミュニティーとは単に人の集まった状態をいうのではなく、共通の感覚を持った人たちの集まりをいうのです。」

彼はその持論補強に英単語のコミュニティーを持ち出しているが、気が付いていないのか意図的に外しているのか・・・ある単語の存在を持ち出していない。その単語とはコミュニズム(Communism)であり、日本語で言うと共産主義である。
そもそも場に同じ意見を持った人間しか集まらないのであれば、それは伝え聞くところのどこぞ国の議会のように、何言っても全員賛成、全会一致、そして万歳三唱ハラショーになるのではあるまいか。恐らくこういう話をすると「感覚が共通なだけであり、意見が同じとは書いていない」とか言うのであろうが、そもそも同じ感性/感覚を持った人間が同じ物見て違う意見を提出するとは思えないわけで。
共通の感覚を持った人間の集団・・・それは彼の意図するものと異なるかもしれないが、共産主義社会の実現を夢見て集まっちゃった人々と同じ結果を生むだろう。恐らく異なる感覚を持つ人間はシベリア送りでKGBが思想検閲をするのだと思う。
同じ方向性で思想を統一し、同じ物を見て集団がマイナーを排斥するという意味では、実のところ民主主義政体の生み出した一つの影である「ファシズム・ファッショ」も類似の傾向を示す。異論は弾圧し、同じ意見ではないからコミュニティーから排除・・・まぁ、そんな感じだ。

詰まるところそんなコミュニティーというのはある種の意見をアクセラレートするだけの組織となり、討論のようなものが巧い具合に形成されるとは考え難い。なぜなら異論は集団の目指す方向性と異なるが為に「コミュニティー」に参加できなくなり、集団から排斥されるからだ。それは理によってではなく、感覚的に行われる。もっと言うのであれば、感情的に行われるであろう。彼らは感覚的に「正しい方向性かもしれないが、感情的に受け入れられない」提案に関しては受け入れを行わない。なぜならそこは討論やディベートの場ではなく「コミュニティー」であるからだ。彼らは異論に対して論を立てて反証し、その過程で意見を一致させていくという過程をすっ飛ばすのがお好きなようなのである。コミュニティーの総意というものは神学で言うところのセントラルドグマに辺り、疑うべきではない(それは、共通の感覚によって規定されるもので、「疑いを差し挟む余地の無い」事象であるのだろう)

以前、彼らは10人前後の意見を取りまとめただけの話を「さも、ユーザーの総意であるかのごとく」公式サイドに押し付けた。そもそも日に200~300Hitするサイトに何故10人前後の声しか集まっていないのかを考える事も無く、そこで支配的な意見が「一部コミュニティーでの意見に過ぎない」という可能性を考慮せずに、突っ走ってしまった。


よく、2chのUO本スレッドがまたーりしてる・・・という意見を見かける。私もそう思う。最近書き込みもできない状態が続いてしまって真に申し訳ない(イルイル探検隊とかの頃は、参加してたんだがなぁ)
基本的に署名のない投稿の連なりで、誰も意見の統合などは目指していなさそうに見えるカオスの中でも、結果として署名の背後にある権威とか付帯的なデコレーションを無視し、純粋に意見だけの交換を行う事である種の合意は完成するものなのだと思う。
ここで有名人の逸話を挙げてしまうのが情けない所ではあるが・・・ファインマンの著作にも、ボーアなどの大学者を前に意見を意見として扱い、異論を何も考えずにぶつけるのは僕だけだった・・・なんて逸話が出ている。純粋科学方面の討論とはこの様な「発言者などを問わず、意見をただ意見として扱い、それに対して単純な意見をぶつけ合う」姿勢が重要であると、私は思う。コミュニティー意識を強く持ちすぎたために「討論」がgdgdになるのは避けるべきであろう。
また、鼻行類という奇書が存在するのだが、その奇書の刊行後の顛末を記載した「シュテュンプケ氏の鼻行類 分析と試論」という書籍の中に、学校の教育者でありながら学問の何たるかを弁えぬバカの意見が掲載されている・・・言い方を変えると「晒されて」いる。
その人物は「権威ある大学者がおふざけでこんなもん書いていいと思ってんの!」と噛み付くわけであるが、実際の学者連中はそれこそ大笑いである。権威があるから正しいとか、皆が信じているから正しいなんて論考自体が科学という分野の中ではナンセンスで、誰が書こうとその論述内容が正しいか否かで意見を戦わせるのが、科学の手法の中では正当性のある方式である。その意見を述べるに当たって書き記された「署名」などというものは「俺はこう思うんだけど」程度の意味合いでしかない。(後は、「じゃーこれどーなのよ?」と思ったときの問い合わせ先としての意味・・・ぐらいのものか)
署名に化かされて内容を精査しない連中なんてのは、実のところ科学という分野から最も遠いところにいる。別に全ての人々が科学的である無しで有意無為を判断する必要などというのはこれっぽっちも無いのだが、現段階において思想信条信仰その他を別にしている人々の間でも、意見を理論的に構築して合意に達することができる手法が科学的手法である事は間違いない。共通の感覚をもった人間の集団をコミュニティーだというのであれば、現在世界最大のコミュニティーを形成し得るのが科学的な手法を駆使する(科学的な感覚を共有した)コミュニティーであることはまず間違いない。

この様な長々とした能書き部分は、実のところ彼が宣言する前から気が付いていた。
そしてその自分の分析結果から「このコミュニティーに属する意味は無い」と判断して、私はあそこのアカウントを削除するよう求めた。


あの場所の諸兄におかれては、語義通りの「コミュニスト」として「コミュニズム」を標榜し、共産革命でも目指すといいのではないかと思う。多分マルクス大明神のご加護があるであろう。

木曜日, 3月 04, 2010

ヒョウタンかユウガオか?

ちょっと参考事例として、うおみんに投稿した文章をこっちに採録。

これも図書館行って調べて来た。(ズーギファンガスの話はこっちにのっけた http://uomin.com/?m=pc&a=page_fh_diary&target_c_diary_id=...
調べた本にはこう書いてあっただよ・・・

「平凡社 世界大百科辞典」より
ヒョウタンウリ科の一年草。ユウガオの変種。一般には腰のくびれたユウガオ科の果実をヒョウタンと言い・・・(後略)

「朝日百科 世界の植物3」より
乾瓢(カンピョウ)を甘瓢とも書くのは、ヒョウタンは苦いがユウガオは甘いからである

「研究社 新英和大辞典 第6版」より
gourd
1.ウリ科植物の果実 
 a.キュウリ、スイカの果実(Pepoとも言う) 
 b.ヒョウタン(bottle gourd)の果実(Cala bashとも言う) 
 c.ヘチマ(dishcloth gourd)の果実 
 d.(英) pumpkin
2.a.ひょうたんで作った容器 
 b.ヒョウタンの形をしたフラスコ

まず、日本語の「瓢箪」からヒョウタンは草木の名前であると共に、器の名称でもある。まず、果実としてのヒョウタンだが、ユウガオ科である事は確定。本によってユウガオの変種としていたり、独立した草木であるともしている。
主に食用にするのはユウガオであり、ヒョウタンそのものは食わないらしい(苦みが強いんだそーな)
また、「容器としてのヒョウタン」だが、これはユウガオ科の多くの植物を原料として作られ得る。植物としてのヒョウタンは容器としてのヒョウタンと全く同じものではない。これ重要なんで注意。
で、翻訳をする際には、我々が指し示すヒョウタンが植物としてのヒョウタンなのか、いれものとしてのヒョウタンなのかを区別する必要がある。
容れ物としてのヒョウタンはgourd bottleであろうし、食い物としてのヒョウタンは(英語では細かく規定して無いんで)gourdに該当してしまう。
んで、今回は「食えるもの」としてgourdの語が当てられているので、厳密にはキュウリやスイカ、ヒョウタン、ヘチマ等の可能性が捨てきれないが、その画像を見る限りは「丸型のユウガオの実」と判断できない事も無い。(書名メモってくるの忘れたが、イラスト付きのアラマタ書籍でユウガオの事が記載されていたのだが、それが正しくUOのあの画像だった)
と言う事で、gourd=ユウガオは間違っていないし、そもそもヒョウタンは食わない(世界各国で容れ物として活用される植物の模様)そこまで調べたのかどうか知らないが、EAJは結果的に正しい翻訳していると思う。

で、こんな事を再掲している理由だが・・・
ツイッターである翻訳の誤訳に可能性をフィードバックで指摘しましたーって呟きみたんだけど、個人的に(知的好奇心として)興味があるぞと。また、恐らくは色々調べ物をして記載しているとは思うのだが、世間には「そんなの当たり前じゃんか」と論拠を提示しないで誤訳だ語訳だと騒ぐ連中が多いのである。一見誤訳に見える訳語も、色々調べると正しい訳だったなんて事もあるし、正しい訳を知った上で、イメージ的にどうよって話も無い訳ではないだろう。
「そんなの当たり前だ」とやっちゃうと、多人数でその語を検証する事が出来ないのだ。
多人数で検証する必要は無い。俺は正しいと主張するならそれはそれで別に構わんと言うか、穏やかに無視するから良いのだが、正直UOでも公式批判ってのはやたら燃え上がる。燃えあがってるのに焙られて、見てる連中まで燃えあがるから困ったもんだ。論拠レスなのに。

否定するなら否定論拠を明示するの当たり前だと思うんだがなぁ。
私はアイテム名称日本語化大賛成論者である。だって俺英語嫌いだもん(話せるけど)
嫌いなりに海外シャードからの旅人と話したり、実際に交流したりもする。その経験と能力とUOでの経験に照らして、アイテム名称を日本語化すると海外シャードの人とコミュニケーションできないってのは超嘘っぱちだと思う。
でも、そんなウソ臭い論も燃えあがれば大衆の支持を受ける事が出来るのだ。自論をそういう類のフレームと思わせない為にも、理路整然とした理をしっかり記載して、多数の人間の検証を受けるべきだと、私は思う。

水曜日, 3月 03, 2010

トレハンを考える

最初に言っておくが、今のトレハンつまらなくしてるのは、俺ら自身の性根である。効率化を選択して高効率を目指した途中で捨ててきたものが、ロマンだったり楽しい時間だったりというだけの話。
いつでも我々は色々な選択をしている。
選択の結果がこれだ。そこを念頭に置いて欲しい。

でだ。
個人的にはトレハンを面白くするのに強いガードモンスター出すだの、戦利品強化するだのの対策は良い事ではないと思う。どうせL7トレハン作ってもL7トレハン地味にソロでクリアする連中は出てくるし、戦利品だって半年ぐらいでどーせ飽きるがな。
そうはない改革が求まれているのだと思う。

結局何が問題かと言うと、システムを解析されてしまうからアレなのであろうと。
ではどうするか。
今までのシステムvsPCの構図から、PC vs PCに変更しかけるのがいいのではないかと思う。
Twitterで出てた案としては、PCが能動的に宝物を埋めることができる仕様がいいよと。
正直「ただ埋めるだけ」ではPKをがっかりさせる会のような団体が盛り上がるだけであまり面白くないと思うのだ。結局仕掛ける側の善意だのエンターテイメント精神に依存する訳だよな?
エンターテイナーにだけ重荷を負わせるのはドンなもんか。
欲望に対抗するには、欲望をぶつけた方が良いと思うんだ。 欲望には欲望を以って当たらせるが上策かと。

掘り出す方は価値在る何かを求めて掘り出すわけだよな。
じゃぁ、埋める方は何を求めて埋めるのか。その「埋める理由」がきっちり設定できれば円環が閉じる。埋める側にメリットがあれば、彼らはメリットを求めて行動するだろう。
で、考えた。
埋めたら埋めたものが「良くなる」ならいいだろうと。
だから埋める方は必死に見つかりにくい所を求め、いいものを埋めてより良いものにしようと企むだろう。その為には埋めるものに見合った難易度を設定するだろう。

例えばだが、イルシェナーで産出されるパラゴンボックスにアイテム入れて埋めると、色や取得した相手の(つまりパラゴンボックス表示名の)Lvによって色々なものが変化する・・・・とかだったらどーよ?
ダメージ増えるボックスであるとか、抵抗増えるとか。Lvによって変異速度が決定され、埋めている期間によって変異量が決まる。
埋める方はできるだけ長い期間盗掘者に見つからない辺鄙な場所を探すことになるだろう。
トレハン職人は彼らの気持ちを読み取って、辺鄙な場所を探すだろう。
ここに知恵比べの要素が生まれる。

埋めるものの種類とか量に関しては、何かのスキルに関係付ける。まぁ、順当に行けば地図解読スキルだろうな・・・・で、埋めたところはどうやって探すか・・・実際に歩き回ってもらった方がいいだろう。現状のトレハンがつまらない理由は、地図見たらどこに埋まってるか分かってしまい、そこに直接ゲート開く余地があるからだと思う。要はトレハンブック作れない仕様にすればつまらなくする原因のひとつは解決できるぞと。
で、くまなく歩かせるためには・・・ダウンジングロッドでも使わせるといいんでないの?
歩いてるとロッドがぴこりんと動くわけだ。その動きを見ながら場所探す。(これも何かのスキルに関連付ければ良い。掘りとか)

ダウジングロッドを両手武器扱いにして、FC-20にでも設定しておけば連中の攻撃手段を奪うことができる。あるいは耐久0に設定してモンスターに殴られたら壊れるとか。モンスターからの護衛を知り合いに頼んでもいいし、ステハイで歩き回っても良い。(見つけたらマークして護衛呼んでも良いわけだし)
埋めて効果が出るまでの期間はそれこそ実際に試してみて決めれば良い。

まー何というか、変形しているがPC vs PCの構図作った方が面白かろうと。パラゴンボックスにも色々利用価値が出るし、別の意味で流通も促進されるかもしれない。
一緒に埋める物でその他属性が付くとかでもいいね。そうしたら金だの宝石だの特殊素材入れる動機付けにもなる。掘り出すほうも楽しかろう(俺みたいなのがロンソ埋めて、掘り出した人が「何だよロンソかよ、捨てるべ」とがっくりしないで済む・・・素材だけでも手に入ったからいいかと思えるだろ?)

どんなもんじゃろかー。
PCの最大の敵は、やっぱPCになると思うんだよね。

月曜日, 3月 01, 2010

何の為に支援するの?

某所ネタ。

ピアレスボスとか討伐する時に、支援している人がアイテムゲッチュできないのはアレなので、戦闘支援をレアアイテム取得の算式に加えて欲しい、と。

俺の現状1
皆で遊びに行くと、アイテムはサイコロ分配。例え討伐に多大なる貢献をしていたとしても、さいころは非情である。

俺の現状2
て言うか、油の抜け切った連中が多いので、アイテム欲しがらない人も多く・・・SAAFとか「イラネ」で放置される様な事もしばしば。

俺の現状3
私が生産素材とか取る時は、だいたい後々そのアイテムを必要な人に再配分する為に取得している。戦利品誰も取らないって言う状況は、ぶっちゃけ余り良く無いし。(レシピアイテムはレアアイテムなので今まで一回も作った事無いよ!)


原案提案者に一言
仲間を選べ。
仲間を支援する事が楽しいのであれば、その楽しみを追え。アイテム欲しけりゃ欲しいって言え。
つか、自分の意思を他人に伝えられないってのは・・・人間としてどーなのよ?


補足:サイコロ勝負で私が取得に走るもの
*スシの魚(トラベスティのアレ)
*SAボスどもの遺品とか
*ドレッドホーンの首とか
*高機能鉄鎧類
*高機能ロンソ


代案
欲しけりゃ欲しいと言うと良い。それでもくれないなら自分で何とかせー(つか、そんな連中とつるむなよ・・・) 自分が声出して主張すりゃ済む話を仕様に還元するのはどーなのかと思う。その内自動的に他人の高感度を上げる様なSayマクロの実装とか、装備整ってればボスを自動討伐するプログラムでも要求してくるんじゃなかろうか。


前々から思ってたが・・・あそこの常連さんたち、人とつるむの苦手だったりしないか?
どーも色々な話の論点がソロで遊ばざる得ない人々の視点であるようにも思えるのだが・・・・

うわぁあたまがわるそうだ

四天王を倒さないと敵の本陣に突っ込めないというなんかものすごいゲーム脳の人を見た(挨拶)
とりあえず彼は魔法の鍵を探すところから始めるか、ヒノキの棒の勇者様としてスライムの餌になるといいと思いました。四天王云々の話に到達するには、あとLvが35くらい、経験値が256万ぐらい必要です。


何の事か分からない人は幸いである。
そのまま分からないままでいた方が良いと思います!


さて。
傍若無人大魔王様の私は人様の文章を勝手に引用する事がある。
それに対して誰かが「やだなー」と思ったとしよう!

実は、引用を規制する法律は無いのだ。引用に関しては引用の要件を満たす限り、ひとつの表現方法として認められている。これに対して単なる転載に関しては、複製権や公衆送信権などの著作権侵害になる。どんなに気に食わない奴が自分の文章を引用し、それに対して批評を加えたって、それは他者の権利であるから、その権利を他者が好みで制限することなんてのはできない。著作権という人の持つ権利を喧伝する癖に、批評や引用という他者の権利を制限しようとする奴は一体何を考えているのかイマイチ理解できない俺ガイル。どうしてそこまで馬鹿なのか。

スクリプトやプログラム言語やオブジェクト指向とかそーゆーのかんけーねーよ。
単純に転載されて嫌だってだけなら、プロバイダに報告してWeb Page差し止めさせりゃいーだけだろうに。何でそんな簡単なアドバイスすらできないのか。世間知が足りなさ過ぎる。

たまに無断引用で怒りを露にする愉快な人も見かけるが、引用ってのは条件満たせば無断で構わんってのがこの国の法律なんだが。無断転載は駄目だが、無断引用はある意味で当たり前の行為だぞ?


自分の権利にばかり、執着してるんだろうなぁ。
他人様の権利なんてものは、眼中にねーんだろうなぁ。