土曜日, 3月 13, 2010

ほっほぅ・・・

資料館のコミュニティー論
「コミュニティーとは単に人の集まった状態をいうのではなく、共通の感覚を持った人たちの集まりをいうのです。」

彼はその持論補強に英単語のコミュニティーを持ち出しているが、気が付いていないのか意図的に外しているのか・・・ある単語の存在を持ち出していない。その単語とはコミュニズム(Communism)であり、日本語で言うと共産主義である。
そもそも場に同じ意見を持った人間しか集まらないのであれば、それは伝え聞くところのどこぞ国の議会のように、何言っても全員賛成、全会一致、そして万歳三唱ハラショーになるのではあるまいか。恐らくこういう話をすると「感覚が共通なだけであり、意見が同じとは書いていない」とか言うのであろうが、そもそも同じ感性/感覚を持った人間が同じ物見て違う意見を提出するとは思えないわけで。
共通の感覚を持った人間の集団・・・それは彼の意図するものと異なるかもしれないが、共産主義社会の実現を夢見て集まっちゃった人々と同じ結果を生むだろう。恐らく異なる感覚を持つ人間はシベリア送りでKGBが思想検閲をするのだと思う。
同じ方向性で思想を統一し、同じ物を見て集団がマイナーを排斥するという意味では、実のところ民主主義政体の生み出した一つの影である「ファシズム・ファッショ」も類似の傾向を示す。異論は弾圧し、同じ意見ではないからコミュニティーから排除・・・まぁ、そんな感じだ。

詰まるところそんなコミュニティーというのはある種の意見をアクセラレートするだけの組織となり、討論のようなものが巧い具合に形成されるとは考え難い。なぜなら異論は集団の目指す方向性と異なるが為に「コミュニティー」に参加できなくなり、集団から排斥されるからだ。それは理によってではなく、感覚的に行われる。もっと言うのであれば、感情的に行われるであろう。彼らは感覚的に「正しい方向性かもしれないが、感情的に受け入れられない」提案に関しては受け入れを行わない。なぜならそこは討論やディベートの場ではなく「コミュニティー」であるからだ。彼らは異論に対して論を立てて反証し、その過程で意見を一致させていくという過程をすっ飛ばすのがお好きなようなのである。コミュニティーの総意というものは神学で言うところのセントラルドグマに辺り、疑うべきではない(それは、共通の感覚によって規定されるもので、「疑いを差し挟む余地の無い」事象であるのだろう)

以前、彼らは10人前後の意見を取りまとめただけの話を「さも、ユーザーの総意であるかのごとく」公式サイドに押し付けた。そもそも日に200~300Hitするサイトに何故10人前後の声しか集まっていないのかを考える事も無く、そこで支配的な意見が「一部コミュニティーでの意見に過ぎない」という可能性を考慮せずに、突っ走ってしまった。


よく、2chのUO本スレッドがまたーりしてる・・・という意見を見かける。私もそう思う。最近書き込みもできない状態が続いてしまって真に申し訳ない(イルイル探検隊とかの頃は、参加してたんだがなぁ)
基本的に署名のない投稿の連なりで、誰も意見の統合などは目指していなさそうに見えるカオスの中でも、結果として署名の背後にある権威とか付帯的なデコレーションを無視し、純粋に意見だけの交換を行う事である種の合意は完成するものなのだと思う。
ここで有名人の逸話を挙げてしまうのが情けない所ではあるが・・・ファインマンの著作にも、ボーアなどの大学者を前に意見を意見として扱い、異論を何も考えずにぶつけるのは僕だけだった・・・なんて逸話が出ている。純粋科学方面の討論とはこの様な「発言者などを問わず、意見をただ意見として扱い、それに対して単純な意見をぶつけ合う」姿勢が重要であると、私は思う。コミュニティー意識を強く持ちすぎたために「討論」がgdgdになるのは避けるべきであろう。
また、鼻行類という奇書が存在するのだが、その奇書の刊行後の顛末を記載した「シュテュンプケ氏の鼻行類 分析と試論」という書籍の中に、学校の教育者でありながら学問の何たるかを弁えぬバカの意見が掲載されている・・・言い方を変えると「晒されて」いる。
その人物は「権威ある大学者がおふざけでこんなもん書いていいと思ってんの!」と噛み付くわけであるが、実際の学者連中はそれこそ大笑いである。権威があるから正しいとか、皆が信じているから正しいなんて論考自体が科学という分野の中ではナンセンスで、誰が書こうとその論述内容が正しいか否かで意見を戦わせるのが、科学の手法の中では正当性のある方式である。その意見を述べるに当たって書き記された「署名」などというものは「俺はこう思うんだけど」程度の意味合いでしかない。(後は、「じゃーこれどーなのよ?」と思ったときの問い合わせ先としての意味・・・ぐらいのものか)
署名に化かされて内容を精査しない連中なんてのは、実のところ科学という分野から最も遠いところにいる。別に全ての人々が科学的である無しで有意無為を判断する必要などというのはこれっぽっちも無いのだが、現段階において思想信条信仰その他を別にしている人々の間でも、意見を理論的に構築して合意に達することができる手法が科学的手法である事は間違いない。共通の感覚をもった人間の集団をコミュニティーだというのであれば、現在世界最大のコミュニティーを形成し得るのが科学的な手法を駆使する(科学的な感覚を共有した)コミュニティーであることはまず間違いない。

この様な長々とした能書き部分は、実のところ彼が宣言する前から気が付いていた。
そしてその自分の分析結果から「このコミュニティーに属する意味は無い」と判断して、私はあそこのアカウントを削除するよう求めた。


あの場所の諸兄におかれては、語義通りの「コミュニスト」として「コミュニズム」を標榜し、共産革命でも目指すといいのではないかと思う。多分マルクス大明神のご加護があるであろう。

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