月曜日, 5月 07, 2012

徳が腐らない事に対するこれそれあれどれ?


なんか一部の人々が願ってた「徳とかの腐敗速度低下」仕様が導入されそうになってる。普通に考えて導入されてしまうだろう。何しろ「腐らない」事に対して積極的にふざけんなボケェ! 言う人はまず居ないと思われる。

前々からそんな話は出ていた。
資料館にもその手の提案が出てた。何とも情けない話だが「徳の腐敗速度が速すぎるので、徳を貯める気にならない」みたいな主張だった。彼らにとって「それ」は現世利益を約束するもので、より良い人間であろうとか、そういう意味での「心からの徳性」ではないのだろう。何しろ私も「腐ってたら貯める」形式のプレイしてたんだからあまり大きなことは言えない。
ただ、徳性だの善性というのは「不断の努力によって維持され、磨かれるもの」であるとは思っていた。一回やっときゃ暫く「それ」をしないでも良い・・・という意見には賛同しかねる。
私の主張はこうだ。
実際に徳深いプレイしてない奴に徳なんて与えんでも良い。名誉の騎士なのに名誉もへったくれも無いプレイしているキャラが居たらおかしいだろうと。
その為に、適宜腐って「四六時中そういう事をしている」状態になるのは良い事である。プレイヤーの心根は知らんが、キャラは実際「年中徳深い事をしている」なら、やっぱり彼はアバタールかもしれない。実際にはアバタールじゃないかもしれないが、やり続けている内に何かを見出してくれるかもしれない。

なんかな。
どーもな。

うん、ぶっちゃけた話「そこ」が大変気に食わないのだ。
実際彼らは徳とかそういうのはどうでも良いのではないか。例えばある特定のモンスターを毎週100匹倒せば自己蘇生可能だとしたら、彼らは徳などほっぽり投げてそっちで自己蘇生能力を使用するだろう。だって徳性とか関係ないんだもん。そのオマケについてくる「特典」が欲しいんだもの!
彼らが徳だなんだと言うのは、実の所その現世利益に魅かれているからに過ぎないのではあるまいか。その性根が透けて見えるからどーにも「嫌な感じ」がして仕方ないのだ。
腐るのが早くて貯める気がしなくなる。そんな人は是非とも徳を貯めないで頂きたい。しかし私も鬼ではないので、同等の効果が別の手段で入手可能であり、しかもそっちの方が手っ取り早いなんて方策を提案したい。
そうした中で敢えて「徳性」を磨く人が居るのを見たいのだ。偽物で溢れかえって本当に徳が輝いている人を見出せなくなっては困るのだ。私はその為にきちんと線引きできる仕様が欲しい。
徳無き者を忘八者とちゃんと判断できる何か。例えその徳が実装されていなくても「だって、そうする事は良い事じゃないか!」と無邪気に笑える聖者を見たい。

徳やその他の善性に比べるとたいそうちみっちゃい事だが、私のメインキャラであるVesselはフマクトの司祭であり、フマクトの社には厳格なルールが存在する。フマクトの宗門に帰依する際には必ず一つ以上の「加護と制約」を選択しなければならない。
これはグローランサ(フマクトが実際に神として存在する世界)では世界法則に叶った事であり、実際何かの制約を受け入れると加護が与えられる。
ところがそんなルールはそこらのMMORPGには存在しない(当たり前だ!)
では、加護が無いから制約は無視して良いのだろうか?

うん、いいんじゃない?

だがしかし待って欲しい。加護と制約を一つ以上受け入れる事は「フマクトに帰依する為の条件」だ。その加護と制約(英語原文ではGifts and Geases 制約って言われてるけど、これギアス(呪い)だから)をほったらかしたら「フマクト信者じゃない」のだ。
でも、それでも「フマクト信者」でありたい場合にはどうしたら良いのか?
まずは自分が条件を満たすべきだろう。制約は己で行う事、加護は神からの恩寵だ。まずは自分で責務を果たさねばなるまい。

こうして、Vesselはフマクトの加護の無い世界でも制約を受け入れる事になった。
酒は飲まない。嘘はつかない。剣以外使わない・・・・
何度も言うが、加護は無い。
加護は無くとも己が己の目指した状態であるが為に、自らを律するのである。その律した姿こそが彼の望む姿であり、そうであるからフマクトの剣を名乗るのである。
別にカッチョイイ名前をパチるだけなら、フマクト以外にもそれっぽい物はあるだろう。割とそういうの詳しいし、てきとーに捏造する事もできるからそうしても別にいい。

でもそれではいけないのだ。あくまでフマクトの剣であり続けようとするその心根こそが彼の根幹の一つであり、それが彼のパーソナリティーなのだから。
実際グローランサでも有利不利で加護と制約とる人いるし、利があるからフマクト信者やってる人も居ると思う。
しかし、その利から遠ざかった時に「まだ」フマクト信者でいたいと願う奴は、喜んで制約を守り続けるだろう。何故ならば加護と制約の「制約」とは、まさに彼らが神と仰ぐフマクトの生き様そのものであり、彼らはあの様に生きたいから宗門に帰依したのだ。それを守り抜く事でフマクトに近付く事が出来るから、フマクトは恩寵を垂れ給う。
それが、神と信者との間の穢される事無き「契約」なのである。

徳が腐りにくくなり、お得効果を求めて徳の研鑽始める連中が出てきそうな今だからこそ、敢えて「徳じゃなくてもお得効果を得られる仕様」を提唱し、ヌルぽな連中はこっちに誘導したい。