土曜日, 9月 06, 2008

言葉とイメージの乖離

前から主張している事の焼き直しなんだけど、どーもこの辺の事が自明として理解できていない人が居るようなので再度記載する。

最近実際に合った話。
私の職場には中国系の方が沢山在籍していらっしゃるのだが、その時に社内の他愛無い話の中で「愛人」と言う言葉が出た。日本語で愛人って言ったら普通は「奥さん以外の愛する人」と言うか、不倫相手だろう(主に男から見た女性の呼び方ね)。しかし中国本土では愛人と言うのはその字義通り愛する人であり、旦那・奥さんなのである。
なまじ同じ文字を使っているから、そして同じ文字に対する文化背景とか歴史的な経緯が違うから、そこに誤解が生じる。

例えば「求められるソーサリア像」なんて言葉も、実は我々日本人プレイヤーと海外プレイヤーで異なっている可能性がある。それがいま顕在化しているのが「UO内職人に対して持っているイメージ」ではないかと思う。

実際には決してそんな事無いのだけれども、日本人プレイヤーが「職人」と言う文字を見ると、恐らく思い浮かべるのは刀鍛冶ではなかろうか? 求められれば一振りの刀を作るが、それは逸品ものとして非常に高い価値とか切れ味とか魔力を持ってしまう、みたいな。
しかしヨーロッパでは各種の職人の仕事は「ギルド」と言う職能組合で管理され、そこで一定水準の製品を作り上げる為の技術継承や徒弟制度を使った訓練さえも行われていた。ギルドの役割の一つは技術の継承とブランドイメージの維持の部分に効果的に働いていたのである。
ちょっと聞いてみたいのだが、諸兄はヨーロッパの有名な鍛冶屋の名前や、超有名な剣などを知っているだろうか? 多分知らないと思うし、私も(実在する魔力の無い)有名な剣と言うと「慈悲の件、クルタナ」しか知らない。そもそもクルタナ鍛えた人間の話なんぞ聞いたことが無い。(再作成された時にだれが発注したかって情報は見かけた事があるが)
それ以外はゾーリンゲン等の「~地域の刀剣作成技術は凄いらしい」と言う部分だけである。

そもそも職人(マエストロ)に対するイメージが日本と海外で異なるのではないか?
先に書いた「愛人」の例と同じようなもんで、UOの開発陣や初期イメージ作成者、そして海外プレイヤーは「彼らの常識として」ヨーロッパ風の職人の姿をイメージし、それを受け入れているのかもしれない。
我々日本人プレイヤーは日本人の常識をもって「UO内の職人はなんか宜しくない」と判断する。
それって、良くないと思うんだよなぁ。

ブリタニア資料館でアトス氏は今のUOにおける職人のデザインを「間違っている」とまで断定してしまうのだが、合っている・合っていないの判断論拠ってアトス氏の(そしてそれは日本人全体のイメージであろう。アトス氏個人の責では無い)イメージに合致するか否かって話だんべ?
ソーサリアやヨーロッパには彼ら独自の文化風習や風俗がある。その「彼らのイメージ」に従ってデザインされているもんを日本人のイメージに合わないから「間違っている」と断ずるのは勇み足だろう。彼らには彼らなりの「職人のイメージ」が存在し、それに合致するようにシステムをデザインしている可能性だってあるのだ。そして私の見る限り、その方向性自体は(少なくとも、私の知る限りにおいては)間違ってはいないし、うまくシステムとして実装できていると思う。そしてそのデザインラインに沿ってバルクオーダーとか修行システムが構築され、それらがUO内に根差したシステムとして既に「しっかり根を落ろしている」。
問題点はシステム実装の部分ではなく、システムの設計思想が我々日本人を意識していない(そして、乖離している)と言う部分に存在するのであり、それはぶっちゃけ文化・風習の相違ってもんだ。そしてそれは既に問題ではなく「見解の相違」に過ぎない。
後は日本人はこんな事考えてますよーと言うプレゼンスを示し、日本人的な視点がソーサリアに何をもたらすかと言うシミュレーションを展開する事が重要だと思う。

そういう事せんと、単純に「今のシステム悪い、ダメダメ。こっちにしろ」とか言っても話通らないと思うぞ。
また、流通が停滞しているって話だって
「じゃあ、ハードコアシャードいってらっしゃい」
で終わったりしませんか?
それはそれ単体で有効に働く論拠じゃ無いぞ。
そういう選択肢もあるのにそういう選択をしない人々に対し、それを強要するのは「徳の強要政治」と同じだと思うんですが。

0 件のコメント: