火曜日, 9月 23, 2008

書写による「異本」とかの話

ソーサリアでは書写スキルで書写ると基本的には「完全なコピー」が生まれるのだが、実際の書写の世界ではそんなポンポコピーな事は無く、書写った結果として誤字脱字が発生する事もある。書写の技術が発展し、書写作業がある種の工芸に近い地位を得てからもこの誤字脱字との戦いは続けられており、皆で読み合わせしながら書写ったり、原典を保管してそっからの書写を推奨するなんて事もあった。
最近私が個人的に注目している「モーニング」に連載されているチェザーレでも、訳本の誤訳から議論が始まったりする姿が記載されていた。

でだ。

例えば書写の過程で「写し間違った」り、写し間違った結果の本をまた書写る際に「何じゃこれ、訳分からん。これってつまりこうゆうこと?」等と勝手な解釈を加えた結果、内容の一部が変質したものを「異本」等と言う。
以前私はブラックソン本(三分冊にしてスマンかった! 今は激しく後悔している!)で「勝手に異本作って良いよ~」等と宣言しているのだが、公開(2004年ごろ)した後にも異本が作成されたと言う報を聞いた事がない。ま、青本3冊分の物語改変するのは大変だわな(呆) 無茶なことを言ったもんである。
個人的にはもう少し異本があっても良いんじゃないかと思っている。特に初心者書写屋や物語屋さんは異本作製から作業を開始し、ある程度作文に慣れてから独自作品作っても良いんじゃないかと思う。しかしそう思って笛吹いたってボタン一発で完璧に書写できるソーサリアじゃ、なかなかそう言う事も面倒であると思うわけで・・・

今回、Piremin名義で敢えてJill氏定訳本を再編してみた(一応英語原本も確認しているが)。
これは青本枯渇と言う現実的な問題に対する改善策であると共に、異本文化を自分自身で積み上げていこーじゃないかという試みの一環でもある。トリンシックの大火はトリンシック炎上の異本である。
なんか理由付けて異本作ったら、それに乗っかってくる人も居るんじゃないかなと。その波及効果を狙って隠居のPiremin名義を出したというのもある。
書き終えて思ったのは・・・途中で単純に誤訳した(livelyをlovelyと単純に読み違えた。Jillさん誤訳だぁとか一瞬でも盛り上がった俺涙目:苦笑)部分とか、もう少し残しておけば面白かったかなぁ。まったく同じ作品でなければ、その差異を考察するという人々の営み(?)も生まれるだろう。どの様な経路で書写が行われたかを辿る事もできるだろう。それはまた別の図書への親しみを生み出すのではないか?

実際にこれに似た事は現実世界でも行われており、アーサー王物語とかはその変遷とかまじめに研究されていたりもする。今でこそマロリー版が定番になってはいるが、その前の段階での作品にはその時代の風俗とか風習が色濃く残されているのである。
アーサー王物語と言えば聖杯探索だが、そもそも聖杯の原型がケルトなどに伝わっていた「豊満の大釜」であるという話はご存じだろうか? アーサーは良きキリスト教徒だったのでケルト文化を追い求めてはいかんのである。だから聖杯と言う存在が生まれた。
これを範にとれば、八徳文化以前の物語に無理やり八徳風味を植え付け、現代ソーサリア風に改善(?)した新定訳なども生まれる可能性がある。そんな文化的な事じゃなくても、過去には存在しなかった仕様を昔の物語に当てはめて読者を混乱に陥れる事もできるだろう。(陥れてどーすんだって話も無い訳ではないが)
信じるよ、メイジタワーだろ? だって現在の環境では「失われた風景」かも知れない。それについて記載した本はデマ本とか創作本と思われるだろうが、それはかつては日常の風景だったのだ。その物語を読んだあるプレイヤーが、ソーサリア内でそれにまつわる文献を探し、古老に物を尋ね、最終的に何かの本を記載してくれるだろう事を期待したっていい。



真面目に書写しない事で生まれる何かが、そこにあるのかも知れない。

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