火曜日, 1月 31, 2006

わしも少し考えた

ウはウルティマのウで「第三世代のMMORPG」と言うネタが出ていた。

個人的にはこの辺の世代変化と言うのはかなりシームレスに行われているので、世代で区切るのはどうかと思うがそれはこの際置いておこう。

んで、フラム卿は「最初のUOは今みたいなテーマパークじゃなくて砂場みたいなものだった」と言うのである。確かにこの言は正しいと思う。こっちにも書いたが、基本的に初期UOの目指したラインって今NWN(Neverwinter Nights)が目指した方向性と同じで「基本システムだけ提供して後はユーザーに勝手してもらう」物だと思っている。まぁ、それがかなり素っ頓狂な方向向いてしまって「まずPvP能力/PvP回避能力ありき」になった辺りでUOはその方向性を諦めざるを得なかった…と私は捉えている(異論は各人自分のBlog/サイトで展開すると良いと思う)

実際に今、かなり気合の入った砂場は既に存在する訳だ。まぁ、NWNなんだけれども。
結局そっちに人が中々流れないのは完全な砂場でエンターテイメントするのはトンでもねぇ労力が必要であると言う事実に皆気が付いているからでは無いかと思う。
実際見てみれば判るが、NWNでは鎧のデザインから各人のポートレイトからモンスターデザイン、町の設計、イベントの作成(PoPするNPCモンスターも設定可能)…なんつーかありとあらゆる事が設定可能である。そしてその事は「ありとあらゆる物を自分の好みに設定しないと理想が実現できない」と言う事で、これはもう洒落にならないぐらい労力が必要なのである。町中に仮に20人ぐらい住人のNPCを設定してみよう。そこに各人の知っている情報を設定し、スクリプトを定義し、状況に応じてカスタマイズし、外見その他を設定して…まぁ、それが楽しめるならたっぷり数日はそれだけで楽しめるのではあるまいか? 更に住宅を作り、周囲の環境を定義し、モンスター配置してシナリオを作り…
…一ヶ月ぐらいは楽しめるんじゃないかなぁ(割と本気)
それもお仕着せのパレット組み合わせであった場合の話。それカスタマイズしはじめたら個人の才能にも拠るが数ヶ月遊べるんで無い? そして恐ろしい事にそのシナリオを走らせてユーザーが楽しめる時間はほんの僅かな時間だ。ある程度アバウトでも良いT-RPGのシナリオでさえ、私は骨格作成に一晩、その他のデータ作成や戦闘のシミュレーションに2晩はかけた。適当なアドリブで済ますことの出来ないMMO/MOの場合、それらを全部真面目に設定しなければならない訳で…眩暈するぞ。
上に挙げた例だって、正直20人ぐらいしか居ないなら村にもならんわボケ! と言う話もあるわけでして。せめて15-20世帯ぐらいは欲しいよなぁ。
でもそんなんしたら一年ぐらいそれかかりっきりになるんじゃないかなぁ。

昔、ブルトンレイと言うゲームで「シナリオエディタ」が販売された事があった。
私は喜び勇んでそれ買ってシナリオ作りに励んだんだが…恐らく最も簡単であろう「お使いイベント」を少し捻った程度の…T-RPGだったらレポート用紙2枚ぐらいのデータ作成するのにマジ1月掛かった。
自分でやったらそのシナリオ30分ぐらいで終わんの(涙)
泣いたね。あまりの報われなさに。
そのブルトンレイの数倍の自由度を持つであろうNWN。私はカスタマイズする元気がありません(笑)
この「過去の呪縛」が私をNWNに行かせずにUOに留める鎖となっている。

どうしても特定の「ある意味では偏った嗜好」を満足させるにはMMORPGと言う市場が適切ではなかったと言う事も出来る。一応1シャード数千人規模で遊べるゲームですから、シャードを維持できるレベルの人間の賛意が無いとシステムをモディファイする事は難しい。(まさか現状否定派も「俺の意見こそ全プレイヤーの魂の叫びだ!」とは言わんだろう)
それより小さなレベルの嗜好を満たす事を狙うのであればMOシステムに移行せざるを得ないのはある意味では自然の成り行きではなかろうか?
EAだって特定のプレイヤーの為にシステム開発や運営している訳では無いし。それでも自分の意見を通したかったら地道に不特定多数のユーザーを自陣に引き込むしかない…戦技研を運営する私のように。(いやー 遅々として進みませんがネ!)
いわゆる「過去厨」に属する連中はまるっきりこういう「多数派工作」とか考えて無さそうだしなぁ。
なんでそんなに単純なのか、私は常々疑問に思っている。特に2ch某スレッドの人々とか。

でも現実問題、NWN最大で64人が同時に遊べるらしいぞ。これぐらいの人数で遊べるなら割とお得感出てくるんじゃない? リアルタイムで動けない等の制約もあるが…まぁ、その内何とかなると思うよ。恐らくその方式選んだのサーバーハードウェアの敷居を下げる為の処置だし。個人宅でもQuad Opteron辺りのシステム組む猛者が沸いてきたら数十人レベルでリアルタイム処理可能なUOライクなMO出せる…んじゃないかな? (サーバーの回線速度がせいぜい100Mbpsつーのが悲しいところだが…何とかして1Gbpsぐらいの高速インターネット回線を一般家庭に敷設できないものか…)

そうしたら一部の人が好む形式の初期UOに近いゲームを個人運営する素地は整う。
まぁ、データ編纂する人間がネを上げるとは思うが。

金曜日, 1月 27, 2006

甘いぜWilki

ドラゴン好きのWilkiにささげる…どっか用の文章の草案ね。

なんだ? 随分小難しい顔してんな。
ふーん…行き詰まりねぇ…
戦士としてこれからどうしたもんだか分からんと。
一応先輩戦士として多少の知恵を付けてやる事はできるけどな。それは私のやり方であってお前さんのやり方じゃない。参考程度に聞いてくれ。

ある程度強くなったと。古代竜や黒デーモンでも倒せるようになって、その辺歩いてるパラゴンも倒せるし、ボス戦闘やパワスクでも運が良ければ戦利品が取れると。PvPだってこなしちゃうもんねと。そこでお前さんは悩んでるわけだ…次何しようかとか、戦士とはどうあるべきかと。

でもな、それはようやく戦士として生きていく上での基礎が整ったと言う事であって、全然戦士道は究めてないんだぜ。そっから先の部分こそが戦士として生きていく上で最も重要な部分になるんだとよ。
私の最初のお師匠さん…片腕の老剣士がそう言ってた。
師匠の話では…ある戦士がこう言ったと言う。
「こんな剣(もの)に頼らざるを得んのは、俺が未熟だからだ。本当の戦士には剣は要らぬ」
…だとさ。
師匠この話好きでな。この話だけは事あるごとに聞かされたよ。

私が思うにこの問いの回答こそが戦士を戦士足らしめる部分でそれ以外の部分はおまけだ。回答は各自が自分の心の中に留め置くべきもので、外に出して見せびらかしたりするもんじゃない。答えは無数にあるはずなんだ…あくまでこれは私の回答だぞ。

凄い簡単な例え話しようか。モンバット居るだろ。グレートじゃないの。普通のよわっちいアレな。あれと戦うのは十分に育った戦士のやる事だろうか?
うん、そうだな。それはいかがな物かと思うわな。
じゃ、ドラゴンと戦うのはどうよ? これは立派な戦士がやることかね?
確かにな…ドラゴンはでけぇし、火ぃ吹くしな。十分強い相手と切った張ったするのは戦士の仕事っぽいよな。

でも、私の考えは違う。モンバット倒すのも、ドラゴン倒すのもそれ自体は大した違いは無いんだ。
用心して聞いてくれよ…モンバットは初心者戦士でも十分に一人で倒せる。ドラゴンも初心者戦士が10人…いや100人でも1000人でもいい…それぐらい居たら倒せんかね?
つまり、ドラゴンを倒す戦士ってのは単純に初心者戦士100人とか1000人分の力持ってるだけに過ぎないわけだ。
とりあえず100人分の力ってことにしておこうか。
それは直接的な武力だけじゃないかもしれんよな。経験や装備や色々なものが作用しているかもしれないけど…しかし結果として100人分の戦力を保有している事は理解できると思う。そうしたらあえてまた聞こう。100人の初心者戦士がよってたかってドラゴン倒すのは、戦士の仕事と言えるかね?それは単純に、確実な勝ちを拾いに行ってるだけだとは思わないか?

100の力で勝てる相手に100の力で勝つのは当たり前の事だ。例え何かの制限を加えても、何かの断ち物をしても…この原則は変わらない。純戦士だからドラゴンと戦ってこれに勝つのが勇者の証って訳でもなく、色々工夫を加えてこれに勝つのも別段凄い事ではない。大局から見ればそれはひよっこ戦士が無策ながらも命がけでモンバット倒してるのと大して違いは無い。

単純な話、剣が通用する相手なんてものは本当の戦士の敵じゃないんだよ。それは結果として100人、1000人、10000人の力があれば確実に倒せる標的に過ぎない。自分の能力が100しかないのに1000の敵倒したければ、何とかして残りの900を詰めるだけの話。友人呼んだりドラゴン連れたりすりゃいいだけだ。策をこさえて100足してもいいし、訓練して己の力を100足してもいいし、武器防具を求めて200ぐらい上乗せしてもいい。友情パワーが2000ぐらいになる事だってある。結果、1000超えたら敵は倒れる。単純なこった。

んじゃ、真の敵って何かって話になるな。
そしてそいつを倒すにはどうしたらいいかって話になるわな。
世間には赤いフード付きローブ着た連中が最後の敵だって言ってる連中も居るが…まぁ、冗談の類だろう。その敵はそれぞれの戦士の数だけ種類がある。中には複数の敵を相手にしている連中も居る。
完全にそれに打ち勝つ事は難しい。
もしかしたらそいつとは一生をかけて戦っていかなければならないのかもしれない。そ
れは、自身の矜持を曲げようとする己の惰弱な精神かもしれないし、退屈と言う名の魔物かもしれない。実際私も…何度も騎士道魔法習得しようかと悩んだり、武士の技術なら学んでもいいかななんて迷い…その惰弱な己の精神と戦ってるんだ。
私は私の心の中にある「生一本の戦士技術で戦えるだけ戦う」と言う矜持を守り抜くためにいつも戦ってる…その「自身の誇り」…まぁ、世間一般ではハム一本分の価値すら無いものなんだけど…そいつを守り抜く事が己の生き方であると信じていつも絶えず戦っている。
嘘だと思ってるだろ?
実際へこむぜ…弟子筋のグンダなんて私がひーこら言って倒してる赤デーモンを3発とかで沈めちゃうんだぜ。これで騎士道魔法に憧れない方が変だって。私にとってはこの「憧れ」すら敵なんだ。
その辺歩いてるモンスターと違ってこの「化け物」はいつ倒れたか、いつ死ぬのかも判らんよ。そのいつ果てるとも判らない戦いの日々に倦む事無く、戦士の魂を維持できるか…別にいいんだぜ。もしもお前さんの「守るべきもの」が常にパパと戦って勝ち続ける事が出来る戦士であるというのなら、常にそれを守れば良いだけの事。誰もお前さんを責めたりはしない。
静かに瞑目して自分の心に問え。それは自分の道か、否か。
真実の声に背かなければお前さんはずーっと戦士でいられる。
真実の声が聞こえなくなったり、真実の声とは別の事をしだした時…戦いは終わる。お前さんの負けだ。
アーティファクトで着飾り、神武器なんて呼ばれるものを構えて幾千の屍の上に幾万の味方と共にどっかり腰下ろし、10万の人々の矯正を浴びても…お前さんは敗残兵に過ぎなくなる。

本当の敵と戦う時には、剣など役には立たない。だから、本当の戦士には剣など不要だ。戦いの神に仕える司祭として色々な世界で数多くの戦士を見て、そして彼らの死を看取ってきた。時には肉体的な死を迎えてもなお輝く人々も居たが…それはごく僅かな「本物の戦士」だったよ。古の昔にはタイマン戦士って連中が当時は恐るべき強さだった黒デーモンなどを自慢の武器で打ち倒していたが…真に驚くべきはその過程で恐るべき忍耐をして、それでも尚自分の生き様に自信を持ち、自分の考える戦士像を貫いた部分にある。彼らはハルバードで悪魔を倒したから凄いのではない。守るべき矜持を守りぬいたから輝いていたのだ。
私は出来る限り多くの戦士候補生に本当の武器を与えたいと思っているのだけれども、差し出した真の武具を手に取ってくれるものは僅かな数に過ぎなかった。別に私の差し出した武具を受け取らんでもいい。その代わりとなる「本当の武器」を何時の日か見出して欲しい。その時真に守るべきものと打倒すべき敵を見出せるだろう。
ぶっちゃけ、お前さんが行き詰ってるのは…単純に「剣で倒せる敵」しか見ずに真の敵も、守るべきものも見出せてないからじゃないかね?
そこで悩んで初めて戦士の道の入り口さ。先はまだまだ長い。


文責:Vessel@Ask

木曜日, 1月 05, 2006

久々にギルドPitのBBS見た

相変わらずVessel名義で頑張ってる奴がいるが、どうも普通に「あのVesselと同名の人」と言う位置付けに戻ったらしい。前は随分下品な煽りをしていたのだが…まーあれじゃーなぁ(苦笑)

んで、対人方面だけど…なして彼らはUOの基軸に対人置きたがるのかが良く判らん。そこを基軸にしてUO組み直すなら徹底的なアップデートして最新の対人ゲーと変わらぬ状態にしなければ生き残れんぞ。

UOの対人戦はそもそも…こう言ってはなんだが今のこのご時勢でその部分だけ取り出して楽しめるほどの余力無いと思うんだわ。困った事にUOにおけるPvPは元々生活と密着した部分で添え物的に扱う程度しか魅力無かったと思うんだよね。
確かに1onとかチコッと遊ぶ分にはそれ相応に面白いんだけれども、ではそれだけで3年遊べるかと言われれば…残念ながら理想的なゲームバランスが適用されてもそこまで遊べないと思う訳で。
おかしなもんでUOと言うのはモンスターハントにしろ商売にしろ対人にしろ…各方面全部がかなり中途半端だと思う。その中途半端の集大成である事がUOらしさなのかもしれない。
残念ながらUOの世界は渡り歩いて遊ぶには狭すぎる。
UOの敵は(MLで随分拡張されたけど)モンスターハントを極める方向では余りに簡単過ぎる。
商売するにもそれほどバカバカ儲かる訳でもなく、正直商業のシステムの作りこみはかなり甘い。
そういう色々ある中で「どうするか」を決定していく…これが日常だと思うんですけど、フェルッカが単純にPvP特化ファセットに成り下がった瞬間に、フェルッカ世界の持ってたUOらしさが完全に失われてしまったと。そこでPvPのバランシングとかすればフェルッカに人が戻ると思い込んでる辺りで相当頭悪いと思う訳で。思ってるほど人は戻らんぜ。改善されて1年経過したら元の木阿弥だと思うな。

最近開発陣もPvPのバランシングを念頭に入れているらしいけど…まぁ、まずバランシングが出来ないと思うのね。有効な戦術があったらそれを自分らで暫く独占して修正されるまでGet数増やすことしか頭に無い連中多すぎるもん。結果フィードバックが遅れてみんなでブースカと開発が怠慢だとか言うのであろう。人を増やして盛り上げたいが、自分の優位性は余り捨てたくないというアンビバレンツが克服されないとそもそもシステムの改善すらおぼつかないのではなかろーか?
正直Mzhのメイン家賭けても良いんだが、対人戦のバランスが劇的に改善されてもフェルッカに人は増えず、改善されて喜ぶのは恐らくフェルッカでPvPやってる連中(しかもその中のごく一部)だけであろう。そしてPvP人口はさして増えず、あいも変わらず馬鹿な連中が「何故フェルッカに人が増えないか…PreUORしかない」等と「太陽が西から昇ればすべて問題は解決する」的な話を口にして新橋辺りの飲み屋の酔客同様の太平国家論を垂れ流すのであろう。
PreUORシャード運営になんぼの人的リソースと金銭を投下せねばならぬか、将来的にどれ位の利益をEAに落とすか等の考察は一切無いまま「それがUOらしさであり、ゲームとしての本質が云々」と世迷い言を抜かすのであろう。こう言うと何だが…実に青臭い。
企画立てるなら美辞麗句は後で良いんですわ。ぶっちゃけ。
収益構造とか収支の計算をするのが先であって、それが無ければ金主から資金を引っ張り出すことも出来ないという話を何故誰もせんのだろう?

別方面からも話をしてみよう。
共産主義マンセー連中(つまりリアル左翼)の話になるが…窮乏理論と言うのがある。
要は資本主義が進むと富の集中が発生し、プロレタリアートは窮乏する…そして革命が起きて共産化という話なのだが…ご存知の通り共産主義はソビエト連邦の崩壊と共に「ちょっと理論に無理があったかもねー」と言う「大後悔時代」を迎えている。
UO内でもこれに似た事発生してないか?
PvP論者の言説って最終的に「AI相手にしても面白くないべ? だから最終的に皆PvPに行くのであって、PvPこそUOの最後にして最高の楽しみである」となってると思う。これを仮にUO窮乏論と名付けよう。
かつてのUOであればそれは確かに真実であろう。しかしアイテムプロパティーの拡充やMLモンスターなどによるRAIDの強化で「AI相手の戦闘」が楽しくなってしまった場合、或いは戦闘以外に面白いこと(人狼や作家業やRPとか)が台頭してきた場合…UO窮乏論はそもそも成り立たないのである。
もしもPvPの方面を真に活性化したいと欲するならば、PvPに光を当てるような新説を策定せねばならない。現在のPvPが楽しいという前提、PvMがPvPよりつまらないという前提から崩して考えねばいかんのだ。
PreUORでどーこー言ってる段階で思考回路がハングアップしている様では…PvP方面はお先真っ暗であろう。そしてその当事者であるPvPerはこの様な構造的問題に気付いていないような気がする。


まぁ、放っておいてたまーに見ると面白いことになってるから「このまま放置しとく」のが最良の方法なのかもねぇ。