金曜日, 1月 27, 2006

甘いぜWilki

ドラゴン好きのWilkiにささげる…どっか用の文章の草案ね。

なんだ? 随分小難しい顔してんな。
ふーん…行き詰まりねぇ…
戦士としてこれからどうしたもんだか分からんと。
一応先輩戦士として多少の知恵を付けてやる事はできるけどな。それは私のやり方であってお前さんのやり方じゃない。参考程度に聞いてくれ。

ある程度強くなったと。古代竜や黒デーモンでも倒せるようになって、その辺歩いてるパラゴンも倒せるし、ボス戦闘やパワスクでも運が良ければ戦利品が取れると。PvPだってこなしちゃうもんねと。そこでお前さんは悩んでるわけだ…次何しようかとか、戦士とはどうあるべきかと。

でもな、それはようやく戦士として生きていく上での基礎が整ったと言う事であって、全然戦士道は究めてないんだぜ。そっから先の部分こそが戦士として生きていく上で最も重要な部分になるんだとよ。
私の最初のお師匠さん…片腕の老剣士がそう言ってた。
師匠の話では…ある戦士がこう言ったと言う。
「こんな剣(もの)に頼らざるを得んのは、俺が未熟だからだ。本当の戦士には剣は要らぬ」
…だとさ。
師匠この話好きでな。この話だけは事あるごとに聞かされたよ。

私が思うにこの問いの回答こそが戦士を戦士足らしめる部分でそれ以外の部分はおまけだ。回答は各自が自分の心の中に留め置くべきもので、外に出して見せびらかしたりするもんじゃない。答えは無数にあるはずなんだ…あくまでこれは私の回答だぞ。

凄い簡単な例え話しようか。モンバット居るだろ。グレートじゃないの。普通のよわっちいアレな。あれと戦うのは十分に育った戦士のやる事だろうか?
うん、そうだな。それはいかがな物かと思うわな。
じゃ、ドラゴンと戦うのはどうよ? これは立派な戦士がやることかね?
確かにな…ドラゴンはでけぇし、火ぃ吹くしな。十分強い相手と切った張ったするのは戦士の仕事っぽいよな。

でも、私の考えは違う。モンバット倒すのも、ドラゴン倒すのもそれ自体は大した違いは無いんだ。
用心して聞いてくれよ…モンバットは初心者戦士でも十分に一人で倒せる。ドラゴンも初心者戦士が10人…いや100人でも1000人でもいい…それぐらい居たら倒せんかね?
つまり、ドラゴンを倒す戦士ってのは単純に初心者戦士100人とか1000人分の力持ってるだけに過ぎないわけだ。
とりあえず100人分の力ってことにしておこうか。
それは直接的な武力だけじゃないかもしれんよな。経験や装備や色々なものが作用しているかもしれないけど…しかし結果として100人分の戦力を保有している事は理解できると思う。そうしたらあえてまた聞こう。100人の初心者戦士がよってたかってドラゴン倒すのは、戦士の仕事と言えるかね?それは単純に、確実な勝ちを拾いに行ってるだけだとは思わないか?

100の力で勝てる相手に100の力で勝つのは当たり前の事だ。例え何かの制限を加えても、何かの断ち物をしても…この原則は変わらない。純戦士だからドラゴンと戦ってこれに勝つのが勇者の証って訳でもなく、色々工夫を加えてこれに勝つのも別段凄い事ではない。大局から見ればそれはひよっこ戦士が無策ながらも命がけでモンバット倒してるのと大して違いは無い。

単純な話、剣が通用する相手なんてものは本当の戦士の敵じゃないんだよ。それは結果として100人、1000人、10000人の力があれば確実に倒せる標的に過ぎない。自分の能力が100しかないのに1000の敵倒したければ、何とかして残りの900を詰めるだけの話。友人呼んだりドラゴン連れたりすりゃいいだけだ。策をこさえて100足してもいいし、訓練して己の力を100足してもいいし、武器防具を求めて200ぐらい上乗せしてもいい。友情パワーが2000ぐらいになる事だってある。結果、1000超えたら敵は倒れる。単純なこった。

んじゃ、真の敵って何かって話になるな。
そしてそいつを倒すにはどうしたらいいかって話になるわな。
世間には赤いフード付きローブ着た連中が最後の敵だって言ってる連中も居るが…まぁ、冗談の類だろう。その敵はそれぞれの戦士の数だけ種類がある。中には複数の敵を相手にしている連中も居る。
完全にそれに打ち勝つ事は難しい。
もしかしたらそいつとは一生をかけて戦っていかなければならないのかもしれない。そ
れは、自身の矜持を曲げようとする己の惰弱な精神かもしれないし、退屈と言う名の魔物かもしれない。実際私も…何度も騎士道魔法習得しようかと悩んだり、武士の技術なら学んでもいいかななんて迷い…その惰弱な己の精神と戦ってるんだ。
私は私の心の中にある「生一本の戦士技術で戦えるだけ戦う」と言う矜持を守り抜くためにいつも戦ってる…その「自身の誇り」…まぁ、世間一般ではハム一本分の価値すら無いものなんだけど…そいつを守り抜く事が己の生き方であると信じていつも絶えず戦っている。
嘘だと思ってるだろ?
実際へこむぜ…弟子筋のグンダなんて私がひーこら言って倒してる赤デーモンを3発とかで沈めちゃうんだぜ。これで騎士道魔法に憧れない方が変だって。私にとってはこの「憧れ」すら敵なんだ。
その辺歩いてるモンスターと違ってこの「化け物」はいつ倒れたか、いつ死ぬのかも判らんよ。そのいつ果てるとも判らない戦いの日々に倦む事無く、戦士の魂を維持できるか…別にいいんだぜ。もしもお前さんの「守るべきもの」が常にパパと戦って勝ち続ける事が出来る戦士であるというのなら、常にそれを守れば良いだけの事。誰もお前さんを責めたりはしない。
静かに瞑目して自分の心に問え。それは自分の道か、否か。
真実の声に背かなければお前さんはずーっと戦士でいられる。
真実の声が聞こえなくなったり、真実の声とは別の事をしだした時…戦いは終わる。お前さんの負けだ。
アーティファクトで着飾り、神武器なんて呼ばれるものを構えて幾千の屍の上に幾万の味方と共にどっかり腰下ろし、10万の人々の矯正を浴びても…お前さんは敗残兵に過ぎなくなる。

本当の敵と戦う時には、剣など役には立たない。だから、本当の戦士には剣など不要だ。戦いの神に仕える司祭として色々な世界で数多くの戦士を見て、そして彼らの死を看取ってきた。時には肉体的な死を迎えてもなお輝く人々も居たが…それはごく僅かな「本物の戦士」だったよ。古の昔にはタイマン戦士って連中が当時は恐るべき強さだった黒デーモンなどを自慢の武器で打ち倒していたが…真に驚くべきはその過程で恐るべき忍耐をして、それでも尚自分の生き様に自信を持ち、自分の考える戦士像を貫いた部分にある。彼らはハルバードで悪魔を倒したから凄いのではない。守るべき矜持を守りぬいたから輝いていたのだ。
私は出来る限り多くの戦士候補生に本当の武器を与えたいと思っているのだけれども、差し出した真の武具を手に取ってくれるものは僅かな数に過ぎなかった。別に私の差し出した武具を受け取らんでもいい。その代わりとなる「本当の武器」を何時の日か見出して欲しい。その時真に守るべきものと打倒すべき敵を見出せるだろう。
ぶっちゃけ、お前さんが行き詰ってるのは…単純に「剣で倒せる敵」しか見ずに真の敵も、守るべきものも見出せてないからじゃないかね?
そこで悩んで初めて戦士の道の入り口さ。先はまだまだ長い。


文責:Vessel@Ask

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

むはっ、格好いい話ですなぁ^^

Wildcat さんのコメント...

もともと戦技研で初心者に戦士の何たるかというか「戦士を楽しんでもらう」為に書き起こした文章だかんね。
目一杯気負って格好良く仕上げないと戦士の渋さや格好良さ分かって貰えないと思うわけで、かなり頑張って書いたっス。

なお、文中の「ある戦士の言葉」はヴィンランドサーガ2巻の山場で出てくる台詞。
主人公トルフィンは父の残した言葉の真意をいつ頃どのように解釈するのだろうか?