土曜日, 4月 08, 2006

UOの特異性

ちと暇ができたんでここ読んでみた。

結論から先に言うと、多分流行らない。流行らないオーラが私には見える。
その事を考えると言うことは、結局のことこの事を考えるのと同じことなのだ…UO以降にUOを作成できるかと。

何の事か判らない人も多いだろう。私が言いたいのはこういう事だ。
確かにUOは8年だか9年存続した。その基本設計方針は確かにこの8年間で「実績のある」システムである。
しかし、次の9年間に適した方針なのだろうか?
常々私は主張しているが、UOは時代と共にあって始めて成立したシステムである。たまたまあの時期あの場所で、あのギャリ男がUOを作ったからUOは8年間生き延びた。その成立と存続の根底にあるのは「時代と人」なのである。
例えば本当に初期のUO…王様が焼き殺されたり、スキルがのほほーんとした感じだったあの初期UO(その雰囲気が知りたい人は俺のレジェンド伝説(重複)を読め)が唐突に今のこの時代に現れて流行するだろうか?
蒸着するより速く回答は出る…無理だ。
初期UOによって最大の幸運は、それが世界初のMMORPGであったという点にある。あの頃はこれでも良かった…しかし今は無理だ。
多くの商品、サービスにおいて「時代やマーケット」を無視できるモンスタータイトルは少ない。私はスターラスターというファミコン時代初期のゲームが好きなんだけど、恐らくアレをリメイクしても余り世間には受け入れられないと思う。あの時代あの市場で有効だった作品だからねぇ…
時代を超越できる作品と言うのは恐ろしいまでに偉大なものである。その意味で芸術などにおける「古典」と言うものはとんでもないポテンシャルを秘めた作品群である。
正直、UOは未だその「古典」の地位まで登りつめていない…悲しい話だが、正直将来的にも「古典」となる事は無いだろう。ごく少数の人々はそれでもいいと言うのだろうが、結局市場規模とか「世間」に受け入れられない作品と言うのは時代を乗り越えていくこと出来ないのよ。
たまたま、時流にあったアップデートを繰り返した為に何とかUOは生き延びた。
初期UOの設定をなんぼ練り直して時代に合わせようとしても、コンセプトがそもそも「時代に依存してた」物なのだから、それにも限界はあるだろう。正直、UOのまねっ子じゃUOを超えることは出来まい。

昔、こんな文章書いた。
そして常々思うのだけれども…時代の後押し無しで偉大なる物になるのは難しい。殆ど不可能に近い。
時に人々はその「時代に依存した」部分を見落とし、それが単独で素晴らしい物であったと喧伝するのだが、その声が市場に到達することはまず無い。
凡百たる我々は、常に時代と共にあらねばならんのだ。
その時間の流れと言う鉄鎖を噛み切ることが出来る連中だけが「天才」と呼ばれる。
ギャリ男が天才だと言う人も多い。しかしよくよく見てみるといい…彼に本当に時代の流れを断ち切る事が可能であるのなら、次なる彼の作品はとんでもないシロモノになるだろう。もしも凡百の作品だとしたら…それは彼があくまで常人であり、その彼が時の流れの中を上手く泳いだ結果がUOだと言う事だ。

時代を遡行する考えを持ってる連中は、色々と考え直した方がいいと思われ。
な、タクやん。

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