水曜日, 3月 29, 2006

たまにはこんな話-ベッセルさんのこと-

プレイヤーとキャラクターを分けてみてみる
→プレイヤーとして客観的に彼(PCとしてのベッセル)の姿を見てみる実験



どうも嬉しい事にベッセルのお話を買ってくれる人が多いらしい。(Celaeno Libraryで販売中)
彼の話と言ってもずいぶん昔、彼が犬のレイディアと共にでかい蜘蛛や水の竜と戦ってた頃の話なのだけれども。
奴とも随分長い付き合いになった。今回はソーサリアでの彼の日常とか、そんな事を少し皆に語ってみたいと思う。
ベッセル身長6フィートと少し(180cm以上ある)、体重はソーサリアに来て少し増えているが、それでもまだ筋肉質で通る体をしている。
年の頃は30中盤。最近は白髪も出てきて難儀していると言う。
取り立てて美形という訳でもなく、実に典型的なオッサン顔をしている。
それ相応にでかい体をしているのだけれども、彼に出会う場所と言うのはいつもでかい敵がのさばっている戦場であるので、人は彼を中肉中背だと思っている事が多いとか。
実際、いつでもどこでも奴は大きな敵と戦っている…アデンでは巨大蜘蛛やゴーレムと、ミッドガッツでは砂漠でゴーレムとよく戦っていた…いずれも身長7フィート以上の馬鹿でかい連中だ。ソーサリアでは昔はオーガロード、最近ではドラゴンやデーモンと戦っている事が多い。
どうもその方が「燃える」らしいのだ。

彼は特徴が無いのが特徴さなんて言っているが…戦闘を行っている姿はかなり特徴的だ。常日頃気合だ何だと言っている割に、彼の戦い方は静かなものである。少なくともはたから見ている限りは敵の咆哮と、彼の操る剣と盾の音、時折繰り出されるアーマーイグノアの音…彼の声は聞こえない。
実際に彼の戦闘シーンの動画を上げて見たが、多分皆は「すっげー地味な戦闘」に思えたのではないだろうか?昨今の戦士であれば時に騎士道魔法の詠唱や特徴的な侍スキル発動の音が聞こえるものだが、彼の場合一切それは無い。実際に彼と戦場を共にした事がある人なら分かると思うが、死者を蘇生して彼に謝意を告げても彼はそっけなくnp(No Problems)とかOkと言うだけで滅多にしゃべらない。
まるで声を出した分戦闘能力が減るとでも言いたげな風情である。
(実はフマクティーには「無言の行」がある。加護と制約の一つに「特定曜日に一切しゃべらない」という制約があるのだ)
そう、これはかなり重要な特徴なんだが…彼は時に生まれ変わる。何の事か分からないかも知れないが…彼は大規模なプレーンシフトに際しては必ず新しい体に生まれ変わり、その度に戦士としての修行をやり直す。なんと言うか…エターナルチャンピオンのチャンピオンではないバージョンみたいなものだ。
最近ではソーサリアでも生まれ変わった。今のベッセルは生まれ変わったソーサリアでは二代目のベッセルである。ストーリーの1番で語られた彼の生まれ故郷から持ち込まれた鉄の剣の柄は、ソーサリアの初代ベッセル死亡時に失われている。随分と長い事愛用した武器だったのだが、ついに彼はその軛より解き放たれたと言う事か。アデンではダマスカス剣を取り付け、ミッドガッツではホルグレンにクホホホと言われながら勝手に両手剣への改造を受け、柄自体が延長された。ソーサリアでベッセルが最初にフラーレンに依頼した仕事はこのみっともない形になった剣の柄の修正である。(ロングソードに拳3つ分はあろうかと思える柄が付いているのは…どうにも格好が悪いし、片手で扱うには邪魔になる)
二代目の武器防具の殆どは初代から受け継がれた。唯一受け継がれなかったのは「閉じるもの」と名付けられた初代愛用のロングソードのみである。二代目の自慢の逸品はエエンレラ(北風の意)と名付けられた破壊力と速度を兼ね備えた剣である。最近はタリスマンを下げている事が多いのだが、彼のタリスマンは真実のルーンに酷似した形を持つヤマンドン殺しのタリスマンである。死のルーンの象徴である下向きの剣は常に彼の右手にある。これで死と真実のルーン両方を兼ね備えたと言う事だ。(Y字タリスマンは、勿論ヤマンドンキラーのタリスマンだ)
相変わらずフマクト信者としての加護と制約を遵守し、頭には兜を載せず、剣のみを用い、嘘をつかず酒を飲まない。本当は加護と制約の内「頭に兜を載せない」だけ守っとけばいいのだが、何でか何時の頃からか他の制約も進んで受け入れるようになった。
(注意:加護と制約は基本的に1つ選べばいいだけで、よほどの事が無ければ複数の加護を得ること…つまり複数の制約を受ける必要は無い。加護と制約を複数選択できるのは、周囲から「こいつぁ?ヤルぜ?!」と期待を掛けられている場合のみ。逆説的にベッセルは自身で自分を「オラァやる時はやりますよ」と誇示していると言う訳)
そして最近は武勇、献身、名誉、慈悲の4つの徳を常に磨き上げて徳の騎士位を維持している。フマクティーが他にいないのなら、フマクティーの代表として恥じる事の無い威徳を備えなければならないと気負っているらしい。せっかく気負ってもそれを見出してくれる人がいなくてションボリングであろう。
そう、フマクティーであり「フマクトの剣」である彼の本来の仕事は新しきフマクティーを見出し、それを鍛え、鉄の剣と鉄の鎧(そして、できる事なら鋼の魂)を与える事なのだ。最近彼はその仕事を殆ど行っていない。
本来はその為に鎧の作成者であるフラーレンを社の住人に迎えたはずなのだが…社の住人自体が最近フマクトと関係ない連中だらけになっているのも問題か。
そろそろ30歳に近い養女のグンダはフマクティーではなくどちらかと言えばイェルム信者であろう。フマクティー一般にある求道精神みたいなの無いし。なんかそういう事ができるならいきなり「太陽槍!」(サン・スピア!)とか喚いていそうな風情がある。(イェルム信者はえれー格好のいい連中が揃っているのだとか)
オデイラ信者っぽいヴュエリー(脳内イメージマタギだし)、どう考えても別の文化圏の人間ですと言った感のある謎武士ネスカ、唯一「真実のルーン守ってますよ」と主張するパイレミンは…フマクティーというよりも学問の神ランカー・マイに仕える司祭といった感がある(もしかしたら神智者とかかも…啓発を受けている可能性はかなり高い)。
後進を育てられないと言うのは司祭として大問題ではなかろうか。
その話をすると彼は憮然とする。多分一番触れて欲しくないところなのだろう。
信者は募集するもんでも、無理矢理そうさせるもんでもねぇよと。こう彼は主張する。
そりゃ道理なのだが、同じ道を歩もうとする人がいないのは先を歩いてる人間に何か問題があるからじゃないのかと申し上げたい。先を歩む人間が道理に照らして正しく、であるが為に魅力的なら…後から付いてくる人間は片手じゃ足りない数になると思うのだが。
少し前にどこかで「最強騎士の人だ」とか言われたことがある。それに対して彼はこう言った。最強でもなければ騎士でもない。普通の戦士よ、と。
彼ができる事は基本的には誰にでもできる事である。
その「やり方」を教える事ができるのが最近知り合いから「師範」と呼ばれることの多い彼の「他人とは異なる実力」の部分で、弟子入りしてくれるなら懇切丁寧に(多分、それでもある部分では放置するんだろうが)敵との戦い方を教えてくれるだろう。
彼は実際の所、剣の腕がとりわけ良い訳ではない。
その技への習熟の仕方や戦場把握の部分こそ彼の技能の最も大きい部分である。
彼は多分剣の腕を褒めても余り嬉しがらないだろう。実際、彼の言葉や行動を見れば判るとは思うけど、彼が個人の武勇をひけらかす事はほとんど無いはずだ。実際彼がパラゴンドラゴンを倒した時の台詞は「こんな時間に倒してしまった…」である。倒すこと自体に余り彼は意義を感じていない。もし彼が「俺はXXXを倒せたよ」と言う場合、その言葉の裏には「だからお前でもできるはずだ。やってみれ」と言う「薦め」が多少なりとも含まれている。最強になって人々から賞賛を贈られるよりも、自分の試した方法で他の人が強敵を打ち倒してくれる事を望む…それがほぼ唯一といってもいい彼の美点だろう。

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