日曜日, 7月 23, 2006

じゃー 聖騎士とかってどういうのよ?

散々騎士が云々言ってるから、ついでに俺的騎士道ロール方式を。

うちのメンツで騎士と言うとGundaや過去のNescaだが、Nescaは基本的に「強くなりたい君」であまり騎士道にこだわりが無い。簡単に言うと彼はすぐフォースの暗黒面に落ちる素養を持っている。(ネクロ入れないのは単純にルナの商家出身と言う出自の問題だろう)

で、Gunda。
そもそもこいつも聖騎士であると言う自覚があるかどうかが定かではない(ぉぅぃ!)
見て判る通り、こいつは基本がバカの子である。最初期に少し精神年齢下げたロールを心掛けてたら単純にバカの子に近い感じになってしまっている。一応ウチの戦闘職種の中では頭がいい(Intが高い)方に分類されるのだが。
年中悪魔と戦ってはいる。ただこれは装備の構成が悪魔(特にデーモン関係)に最適化されていると言う理由であり、正直に言ってしまえば彼女自身、「デーモンいいじゃない。手っ取り早く倒せてお金持ってるし悪名高いし」と考えている可能性は非常に高い。間違っても「邪悪なる者よ、退け!」みたいな正義感からは行動を起こしていない。
しかし…ある意味では自分の余力がある状態で戦う事を望むと言うのは、彼女が戦闘中に他の事に対して気配りが出来ると言う事にも繋がる。デーモン相手にしている時の彼女の傍らにもし幽霊が立ったら…余裕がある限り、彼女は戦闘中でも包帯巻いたりするだろう。逆に言うとそういう余裕が彼女にとって必要だから、彼女はデーモンとか相手にする事が多いのだ。
彼女が今はマイナー武器になった長槍(スピア)をメインウェポンにしているのも…イグノアが使えることは勿論、パラライズが使用できると言う側面が大きい。襲われて逃げているPCを救うにはパラライズしかけて距離稼ぐのが常道であると思うのだ。(だからリフブレ使う予定無し)
Gundaが本気で怒るのは、馬を殺されたりした時だけである。それ以外は意外と全てを平然と受け入れる。死んだり殺したりは基本的に彼女の生活の「日常」部分なので、そんなのに拘ってても仕方ないじゃん…みたいな。(死んでも名声回復速度がごっつ早いと言う側面も有るにはある)
騎士道も…スキルとしては「便利だし」という心持で使ってるだけみたいだし、養父Vesselと違って装備制限も無い。メンタリティーは極めて「現代っ子」に近いと思う。
それでも尚、なんも騎士道に対する思い入れも無いのに一応は徳の道を歩み、人には親切に(バカだけど)、人に優しく(バカなりに)、できるだけ果敢に(バカのやり方で)と、行動しているのは、単純に彼女の好みの生き方がそういう方向性だったと言う事に過ぎない。
そしてここが最大の焦点となると思う。

騎士道とかやる際に必要なのは、「ノブレス オブリージ」とか「ノビリティ ディマンズ」と言う精神だと思う。弱者救済や貴婦人への慈愛、勇敢さやその他の徳目と言うのは実際の所この「貴族の精神性」と言う部分から発生している。
本当に気合の入った貴族は、貴族から逸脱したり出奔したりはしない。彼らは高貴な家に生まれ、その血が求めるから高貴であるように振舞うのが当然なのだ。高貴であるから病める者や弱き物を助ける…それこそ高貴な人間の責務(ノブレス オブリージ)であり、それは我々現代社会人が所得税や住民税を納付するのと同じ程度の「当たり前の事」に過ぎない。貴族の家からの出奔などは、この「ノブレス オブリージ」からの逃避と言えないことも無い。
当然の責務を果たすこと。
これは人が人として生きていく為に欠かすことの出来ない部分である。そして貴族と言う連中はこの「当然の責務」が一般市民より高いのである(高いと思い込んでいる)
だから軍役にも進んで参加するし、自分の領土を守る為に必死で戦う。
高貴であると言う事は、そう言う事なのだ。高貴な者は高貴であるからこそ重い責務を負う。そして決してそれを誇示しない…下賤な人間が行えばそれは確かに称揚されるのだろうが、彼らは高貴な血を持つ選ばれし人間であるから、一般市民と同じ事して喜んでてはいけない。
人(一般市民)より高いレベルで己の徳性を維持し、人より重い責務を課す。何故なら彼らは貴族であり、高潔な人間だからである。その高潔さを常に人々に証明し続けねばならないのだ。

もう一つ。ノビリティ ディマンズは「ドン・キホーテ」に良く出てくる。彼が時代外れで世間一般と乖離した「騎士道」を標榜し、すっ呆けた事をしでかすと市民は彼に問う…なんでまたそんな事を? と。
それに対してドン・キホーテは高らかに語るのだ。「我が心の内なる高貴さが、要求するのだ」と。
勘違いする人や未読の人が居ると思うので簡単に解説しよう。
ドン・キホーテと言うのは頭のイかれた初老のオッサンが、ロマンスとか言われる「騎士道物語」の読み過ぎで「俺は騎士」と思い込み、騎士として諸国を漫遊する話である。現代風に言うならば、仮面ライダー大好きなオッサンが「俺は仮面ライダー」と言い出してその辺の悪党にライダーキックをぶち込みに行く…そんな物語なのである。その本人の思い入れと世間の嘲笑のギャップを楽しむちょっと意地の悪いお話なのだ。
暴走族と対峙するイかれたオッサンに、その辺のオバちゃんが聞く訳だ…「何でそんな事を?」と。
オッチャンは悲壮感も露に「改造されたこの体は、皆の安寧と平和を守る為に使わねばならんのだ! ロワィダー 変身!」等と言い出す(勿論変身しない)。
これは笑うだろ?
しかし、笑ってはいかんのだ。ドン・キホーテの中で語られている騎士道や彼の言う「ノビリティ ディマンズ」は実際の所本当に「騎士として」望まれる判断であることが多い。そこに至る過程はイかれたオッサンの妄言であるのだが、「彼の見ている世界」の中でもし本当に騎士を標榜するのであれば、彼の判断は間違いなく騎士の物である。
だからドン・キホーテの物語中には実にいい台詞が沢山散りばめられている。そしてそれをもし生真面目に励行した場合、現代人から見ると滑稽に見え、時として揶揄される可能性があることすら明示しているのだ! MMORPGで騎士道プレイする人間は必ず読んで置くべき基礎図書であるといえるだろう。

私は騎士と言うのを「規範によらず、内なる心の導きで自然と気高くなってしまう連中」と考える。
だから出来る限りGundaは好き勝手に生きていながら、結果として人々の手助けをし、力になり、「好きだから」と言う理由で善行を行うよう心掛けている。本当に好きで善行するぐらい気高い魂が無ければ、騎士にはなれないと思うし。演技で騎士になれるとほど芸達者な奴って居るのだろうか?
徳を極めろ、いい人であれ…なんてのは実際の所「従者である時」に学ぶべき事であり、騎士になってから標榜するもんじゃねーと思う訳で。
好き勝手にやっていても人から慕われ、気高き人と思われ、「あれこそ真の騎士だ!」と言われるくらいで始めて「騎士としてのロール」が完成するんじゃなかろうか。そういう精神性を日々のプレイで皆にそれとなく見せて、その上(どこで誰が見ているか判らないから)一切気を抜く事無く「24時間365日、騎士であり続ける」のは非常に難しいと思う。

好き勝手に「騎士」を名乗る者は多いが、本当に騎士である人間は一握りだろう。特にどっかの有名人は好き勝手にやって人と反目し、周囲に人が集まらず、孤高を気取って孤低になる愉快な気質をお持ちである。騎士であるとか騎士道スキル120達成したとか言っても「では、真に騎士たる者の責務を負っているか、自ら高貴さが要求するクエストを乗り越えているか?」と言う質問に答えることが出来なければ、やはり騎士とは見做されないのである。

2 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

 なるほど。

 騎士っていうと、中世欧州のいつの時代かで、その様式が変わってくるし、戦場での活躍位置も全く変わってくるけど、恐らく、日本のMMOで言われるイメージって、騎士道物語の時代なんでしょうねぇ。

 そもそも前回の氏の記事どおり、中世欧州の騎士は、宗教観を外すこと出来ないから、宗教のないUOでは、ややこしい考えをしなければならないような気もします。

 とはいえRPGでは、「どういう行動をしたら、説明せず、全く知らない他人に”騎士”だと思わせる」のが重要だと思うんですけど、形だけから入るから……と、思われてしまうんでしょう。

 うーん、個人的には、欧州の騎士道より日本の武士道の方が好みだなぁ……

Wildcat さんのコメント...

ネイティブじゃないから判りづらいよねぇ。

例えば我々日本人は(判ってる、それは史実の物とは違うのは判ってる!)チャンバラ映画でサムライのテンプレートを知っている訳だ。それは確かに本物の侍とは異なるのだけれども、そのテンプレートを上手く活用したらサムライっぽくは見える。
語尾を「ござる」にしても良いし、見得切っても良い。


で、我々日本人はサムライを知っているのと同じ位騎士を知っているかといえば…決してそうじゃない。我々が良く見聞きする「騎士」なんてのは、実際の所アメリカで曲解されたサムライと同質の物だったりして中々厳しいのである。

まずもって「騎士とはなんぞや」と言う共通理解が無いから難しさに拍車がかかり、演じてる本人も「騎士って何じゃらほい?」だから誤解が誤解を生む。
そういう難しい状態でのロールプレイにチャレンジするのはいいが、チャレンジするならするで少しは調べ物した方が良いんじゃないかと思う次第。ラノベやロードスの騎士ばかりを参照にするのではなく、各種の伝承詩や物語、そういう部分にも注意を払って欲しいかなと。

基礎素養の無い人に(つまり、その概念を知らない人に)「騎士だと思わせる」のは、正直無理だと思う。それはアルファケンタウリの司祭の行う「モーモブ」と言う儀式を演じて見せ、それを「モーモブ」であると認知させる事に等しい。
であればどうするか?
騎士の精神性を出来るだけ上手く模倣し、騎士の外的特徴や名前に拘るのではなく、騎士の内面に留意して「気高き戦闘者」を演じるのはどうか?
そして尋ねられる事があれば答えればいい。
「何故貴方はそんななんですか?」
「それが騎士と言うものだからだ!」