月曜日, 6月 19, 2006

幕間:啓発

あっちはIzm専用になっちまったので、他のシャードネタはこっちに投下するしか。


*瞑想*
長年、思い悩んできた。
俗に言う「人の世」であり、我々が生きるこのソーサリアは何故かくも人に対して厳しいのか?
人は僅かな喜びを求めて生き、往く存在なのに、その「小さな喜び」が新しい悲しみの種となり、やがて結実し、そして悲しみが訪れる。
おおよそ凡ての人の求める物は、根源的に悲しみの長子である。
*瞑想中*

人は言う。人を愛する事は喜びであると。
しかし愛したそれが「人」である限り…やがて別れは訪れる。それが定命持ちし者。その愛が深ければ深いほどに悲しみもいや増すであろう。人を愛する事は、喜びである。そして最期に愛したその人を失うのは大いなる悲しみである。愛が不滅であると言う人も言う。
しかし、その愛を育む者が「定められた命の中で生きる物」である以上、やがて滅びるのだ。

色々な物を求め、それを手にする事は喜びであると言う。
しかし愛した物が永遠不滅の物ではないのであれば…いずれはその手にした物までもが腐り落ち、壊れ行く。
手にした物が、いずれ…いずれ手の中から滑り落ち、壊れ行くのは悲しみである。
ある事物は人の定められし命の幅よりも大きな幅を持ちうるが…見方を変えればその場合、我々がその事物を手放すのだ…命の限りを故として。

生きる物がやがて衰え、そして死に至るのは悲しみである。
これを防ぐ為に各種の小細工を弄するものもあるが…本質的な解決法ではない。凡てが等しく流れる時の最中で移ろい、変わり行くのだ。その中で変わらずにありたいと願うその事自身が世の理法に反する。
その理法すら変えて見せると豪語する物も居るが…それは雨を地上から天に「降らせ」、大木を時の流れるままに遡らせて若木と成し、空に輝く日の光から暗さを取り出すと言う事に匹敵する。
時を留め置くと言うのは、詰まるところこの様な事。つまりそれはいかなる魔力を持ってしても不可能である。

私は大いなる「知恵」の書を得て、そしてそれを学んでいる。
その大いなる知恵はこの様に語る…

ある偉大なるイムモータルが大いなる知恵の修行を深く深く行っていた際、この世の凡て(或いは観測者たる人間の凡て)が移ろい変わり行き、この世の凡てが(変化する事で生まれる)苦しみで形作られて居る事を発見した。つまり、この世とは詰まる所…苦しみである。

生まれた事は、苦しみの嵐の中に漕ぎ出した小船のような物である。それは苦しみである。
病は、苦しみである。そうではない物がこの世に存在するだろうか? 病は、苦しみである。
老いる事もまた、苦しみである。次第に己の体が不自由になる恐怖。美しさを誇った美女の顔には切り株の年輪の如き皺が印され、勇壮なる男の二の腕も細くなる。老いは苦しみである。
そして、死は苦しみである。

凡てが移ろい変わり行く故、愛する物と別れる事は必然である。そして愛する物との別れもまた、苦しみである。
恨みや怒りもまた苦しみである。苦しみであるが故に人は恨みや苦しみを忘れようとはせず、晴らす事を望む。怒りや恨みを持たねばならないのは苦しみである。
求めて得られぬ事、希望を果たすことが出来ぬのは苦しみである。そして求めて手に入れた物が失われてしまう事もまた、苦しみである。そうでない物がこの世に存在するだろうか?
そしてこの様に世界を考え、見聞きし、詳しく知ってしまったが為に世界に対して絶望する…人は外界を考えれば考えるほど、世界の在り様が見えてしまい…人は苦悩する。
野に咲く花は何も考えぬが故に美しいのだ。
渓流を行くニジマスは人の苦しみを知らぬから虹色に輝くのだ。
見よ! 高き知性を持って世を睥睨する老賢者のその姿を!
見よ! 外国(とつくに)から来たりて破壊を巻き散らかすバルロンのその姿を!
見よ! 地底奥深くに住まう古代竜のその禍々しさを!
高き知性を持ち、世に絶望した存在は漏れなく醜悪であり、なにも考えぬ若者、野の花、山の獣は美しい。
世界を知る事は、例え様も無い苦しみであり、それが故に歪むのだ。
大いなる知恵の書はこの8つの苦しみを「duHkha-aaryasatya」と名付けた。まずはそれを知れと言う。正しく知り、それを見つめる事から凡てが始まると説く。


大いなる知恵の書は非常に危険である。
まだ解説の初歩でしかないが、最期まで読み進めても正しく理解できなければ…彼らは絶望し、望まぬ方向に走り出すだろう。だから故にイムモータルはこの書を幾重にも呪にて封し、古の言葉でこれを用意に読み解けぬようにした。師の教えなくば読み進める事すらできぬように成した。
我もまた古の呪にて貴方達が「大いなる知恵の書」を誤読し、悲しみに躓かぬように配慮したい。
この呪文の効果は絶大である。無上のものである。この功徳を以って諸兄の暴走が納まるであろう。
その呪は以下の通りである。
gate gate paragate parasamgate bodhi svaha

Talk By Islladan the stoic




と言う訳で。
悪党とかその辺の連中の理論構築とかその辺が気になって気になって仕方が無いので超絶やばげな思想書を適当にモディファイしてみた。最終的にこの書籍(と言うか、お経?)の最期の方では「凡ては移ろい変わり行く」と言う世界の根本部分が様々な「苦」を生み出しており、そこからの脱出をするにはどうしたらいいかという話が出るのだが…実はこれ、ダイジェスト版なので方法論の部分は専門用語で誤魔化されている(笑)
やるならこの辺まで思想背景を設定し(家名や立身出世の設定作ってる場合じゃないぞ…行動の指針とか思想背景の方が何倍も重要だべさ?)、行動指針を決めて欲しいなと。ただ単に破滅が云々では簡単に論敵に打ち負かされ、逆恨みみたいにして戦い挑むだけになったりしませんか。
んで、まぁぶっちゃけこれ仏教(般若経)なんだけど、最終的に「人の感覚なんてあてにならね。そしてその感覚を基準にするから悲しみが云々…」となり、八正道などに連結していくのだが…その「人間に優しくない世界のありよう」をとくとくと説いて新しい生き方を説くその姿、Rune Questの赤の帝国側で行われていると言う「啓発」に近くねーかと。

悪党にも幾つかの種別がありまして…
個人的に最も御しやすいと言うか…レベルが低いのが「己の欲望を基にして動く連中」である。己の行動が割に合わず、正しき「利」の方向に誘導するだけで改心しちゃう。バカなので「バカに判りやすく説く」と言う苦労だけが問題だ。
その次に、何かの信条を「誤読」している連中が居る。もしも彼らが「理論的帰結」という物を理解できるのであれば…彼らは制御できる。もっともここに「盲信」と言う信者ファクターが入ると滅ぼすしかなかったり、逆マインドコントロール仕掛けるしかなかったりするが。(俗に言うキチガイである)
最期に…正しく特定の信条を理解し、その論理的帰結として悪党になってしまう連中が居る。彼らにも色々と理由があるんだよ! みたいな。ある特定の理論体系はそのもの単独でその正しさを証明できないと言う重大な発見がありまして…正しく組み上げてそれで居て「世間と相容れない」思想と言うのは確かに存在する。大悪党として名を成したいのであればこのクラスまで頑張って欲しい…が、ここ数千年の地球の歴史を紐解いても、そこまで破壊力のある思想と言うのはそう出てきていない。故にこの辺の設定が出来たら一発物語の世界で大成功を収める事ができるかも知れないという超難易度。素人にはお勧めできない。

世間では最期の最上級悪党を演じたくて仕方が無い人々が多い。そしてキャパ不足からワンランク下がって単なるキチガイになってしまったり、その大事な…そのランクの悪党の最大の見せ場である思想開陳の場でフフフと笑う(その部分を誤魔化す)しか出来ない頭の悪い子になってしまう。
その線狙うなら根性入れて勉強し、理論構築して論述で敵を負かすぐらいやって欲しい訳ですよ。
それが面倒だからそういうのをやらないってのは判るんだけれどもよ。
返って「実はライトサイドの方がシューキョー入ってる盲目的連中が多いんじゃね? 実は悪党の方が正しいんじゃね?」とマジで世間から思われるぐらいの悪党が欲しい。


あれ? おかしいな…
Islladanの持ってるInt+5のスペルブック「Prajna Paramita Hrdaya」(般若心経)のソーサリア的解釈を書いていた筈なんだが…

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